2013/07/29

後書き 雨の日の午後

とともシリーズ第30弾、「雨の日の午後」をお送りしました。

「ととも」もかれこれ30作目なんですねぇ。なんとも感慨深いものがあります。シリーズは長編をやっているときは中断してますから、あまり節目というものを意識していませんでしたが、ずいぶんと続いていますね。


さて、雨の日の午後ですが、紅魔館の日常です。美鈴が門にたっていないのは雨だからです。まぁ、のんびりとした幻想郷ですから、わざわざ雨の日に訪れる客もほとんどないということで立たなくていいだろうと考えています。もっとも、美鈴は外の気配を気にしているのは間違いないと思いますけどね。図書館でそのような発言をしたのは、口実でもありますし、実際もそういう風に感じたのだと思います。

で、おそらくもっとも謎な物体は「パチュリー謹製・除湿乾燥機」という存在でしょう。なんの説明もなく登場させましたので軽く説明すると、「火の精霊を閉じこめた、乾いた風を送る装置」みたいなものです。というよりも、それ以上の設定を考えていません。だれにでも扱える魔法の機械というところですね。中の精霊の調子がおかしくなったので、乾燥機としての調子もおかしい、そういった事件でした。外見をもっとおどろおどろしい魔法の壺のようにしても良かったかもしれませんね。

この話は私の雨好きからスタートしています。私は細い糸がたれるような、静かな雨が好きです。薄日がさしたりすると気分がやわらぎます。最近は豪雨か猛暑か、そんな両極端な天気が多いですし、空梅雨かと思ったら、土砂災害が起こったりしますね。もしかすると、やわらかな梅雨空というのはもはや・・・。ま、冗談はさておき、そんな雨を描きたかったのでした。美鈴がそのような旨を述べてますね、あれは私です。淡い緑の若葉に霧のような低い雲がかかるのが好きでして、ちょっとそんな風景も描いてみました。

ちなみに最後、咲夜さんが口ずさんでいるのは、柴田淳の「なんかいいことないかな」です、良い歌ですよ。


季節は夏になりましたが、梅雨のお話をお届けしました。
また次回。

2013/07/28

週末雑感

どうも、李花尺です。
ご近所のアサガオが咲き始めました。すっかり夏ですね。


さて、ちょっと宣伝。お気づきの方も多いかと思いますが、右のカラムに新たなページへのリンクがあります。

「ととも番外編 墓守」

というやつです。小説版「ととも」とでも呼ぶべきでしょうかね。これまでも動画版「ととも」シリーズの補完として文章を二度ほど書いていますが、今回は完全に独立した話です。ただ、雰囲気が動画シリーズとは違います、とだけ。後もしかしたら、ちょくちょく手直しを加えていくかもしれません。



小説についてすこし。私は小説を縦書き(要は文庫)で読むことになれているので、ウェブ上で横書きの日本語を読むのが苦手です。原因はよく分からないのですが、ともかくもあんまり得意ではありません。ですから、このブログや今回書いた小説も本当は縦書きが良いなぁと思っていたりします。そんなことをツイッターでつぶやいたら、フォロワーの方から東方二次小説なら、「東方創想話」というサイトが縦書き(縦読み?)に対応してますよ、と教えてくださいました。ということで、サイトに行きますと、創想話の投稿規定に、「創想話への投稿が初出であること」というものがありましたので、今回は先に当ブログに投稿しましたから、この規定にひっかかるだろうと考えて、創想話への投稿は行っていません(創想話から自サイトへの転載はいいらしい)。今後、創想話に小説を投稿するかもしれませんので、そのときはまた読んでやってください。


「小説はマヨネーズを作るよりも簡単、厳密なものではない」という趣旨の発言を司馬遼太郎が述べていた気がします。なぜマヨネーズが例としてだされたのか私には分かりませんが、小説というのは決まった規格があるものではない、ということでしょう。曽野綾子も似たようなことを述べていましたね。「小説家になるために学校をでなければいけないとしたら、私は小説家になっていなかっただろう」というような発言だったと記憶しています。
 何が言いたいのかというと小説を書くのに(手書き動画でもそうですが)肩肘を張る必要はないということです。ですから、どんな体裁をとっても良いはずですが、まぁ、世の中には流れというものがありまして、そんなに多様な文体があるわけでもないと思います。
 私からはき出される文章は、口語をまったく使わないわけではありませんが、文語の割合は高いと思いますし、擬音語・改行もそれほど多用しない体裁です(特に今回の「墓守」はそうですね)。創想話に投稿されている作品をいくつか見ましたが、あんまり似た文体の作品はなかったように思います。ですので、創想話に投稿したらどんな評価が得られたのかな?とちょっと気になったりもします。どうなのでしょうね?無視されるか、低評価か、はたまた、「うける」のか・・・。すぎたことは悔やんでも仕方がないので、創想話というサイトがあるということを知ったことで今回は満足です。




「墓守」のページはコメント欄がありますから、何かしらコメントを書いて頂けると李花尺は喜びます。

2013/07/21

週末雑感

ここのところ、夜は涼しくてご機嫌な李花尺です。

さて、梅雨の時期のお話を作っているのですが、周りはすっかり夏模様です。・・・気にしない、気にしない。「読書感想文でも書けば?」というコメントをいただいたので、最近読んだ本を一つ紹介してみましょう。


水上勉 櫻守

なによりもタイトルとなっている「櫻守」という響きが良いですよね。「櫻守」という言葉は優しくて、誇り高く、芯が座っている様に感じます。主人公の見た古い記憶に出てくる桜は、甘く、退廃的で、美しく、優しい色をしています。でもそれは決して社会的には許されるような場面ではない。事実、主人公は故郷の親類との関係をうまく築くことは出来ませんでした。だからこそ、記憶の中の裏山に咲く桜が美しい情景として変質したのかもしれません。
 作品は第二次世界大戦の前後を描いています。その動乱のなかで人が強かに生き、価値観が変わるなかで、桜を中心としたこれまでの価値観を「守る」ことを描いています。ただ、主人公は特別に地位のある人物ではないので、時代には逆らえませんが・・・。ですので、物語はその時代に「あった」ことを感じさせてくれました。そして主人公は幼い頃ともに過ごした祖父の姿に似てくるのでした。人というのはやはり古い記憶に回帰していくのでしょうか・・・?
 また、舞台が関西なので、私としては馴染みのある地名も多く、親近感が湧きましたね。それにしても作中に出てくるいわゆる「関西弁」の綺麗なこと。私も擬似関西弁みたいな言葉を普段は使っていますが、ここまで流暢な、そして綺麗な言葉遣いをすることは出来ません。もっとも、現実にも見たことがないですが・・・。作中、別段特別な言い回しを使っているわけではないですが(基本的に市井にいるごく普通の人物達ですから)、優しいんですよね、言葉の終わり方が。険がないといいますか。
 ところで、いくつかの謎は解かれずに物語は終わりを迎えてしまいました。人生というのは墓場に入る前にすべてが解決するわけではないですから、そのあたりもリアルといえばリアルです。全体的に二階調の情景が広がっているように思えるのですが、先に述べた過去の出来事を筆頭にふと、豊かで優しい色調の世界が広がるように感じます。
 それにしても桜について一家言ある人達が出てきますので、なんだかそれに影響されてしまいそうですね。


 ちなみに拙作「春ですよ」にも櫻守をしている人が出てきますが、これはこの作品を読む前にそのタイトルだけ知っていて、「櫻守」って響きが良いなぁと思っていたのでした。

2013/07/14

週末雑感

どうも、すでに夏ばて気味の李花尺です。

さて、だんだん書くことが無くなってきました。どうしたものでしょうか。
ちなみに週末だけアクセス数がちょっと増えるので、このコーナーをちょっとした楽しみにしてくださっている方がいると思うと更新したいなぁと考えるわけです。ここのところ、日曜の午後に投稿することが多いですが、土曜日にアクセスしてくださった方には申し訳ない・・・。

“書くことがない”といいますが「雑感」なので、とりとめのないことを書けば良いんですけど、どうも肩肘を張りがちになります。もっと力を抜けば良い文章になるのでしょうか・・・?


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と、いうことで東方とはまったく関係の話題ですが。ドコモが富士山のメジャーな登山ルートすべてで通信インフラを整備したそうです。新聞広告にそう、アピールしていました(正確にはほぼすべてかもしれませんが・・・)。
 登山の安全、という面から考えたら非常に有意義な事だと思います。やはり通信手段がある・ないではずいぶんと違うでしょう。ですが、どうやらLTEで高速・大容量通信基盤であるということ、アピールとしては「どこでもつながる」ということでした。
 そりゃまぁ、登山の感動をだれかに伝えたいのもわからないでもないですが、登山ってそういうものなのだろうか?と私なんかは考えてしまうわけです。緊急時のためのほそい回線をつぶやきで埋める、というわけではないですから、どんな風に利用しようと目くじらたてる必要はないですし、「ご来光ナウ」というつぶやきがなんの意味もないというわけでもないし、それに怒るのは筋違いなことは承知です。
 SNSの弊害_つながっていないことに恐怖を覚えるみたいな趣旨の主張_は私がわざわざここで開陳するまでもないことですが、ここまで来たかと感慨深かったので少し記録までに。ドコモも、需要があるから富士山でスマホが使えるようにしたわけでしょうし、使いたいという声もある程度はあったのでしょう、恐ろしい。

 ちょっと話は違いますが、アウトドアのレジャー(キャンプとか)って、不便を楽しむもので、そこに小さな端末に日常を詰めて持って行かなくともいいのになぁ・・・と思っています。(ちなみに私はキャンプやBBQで着火剤を使うのは負けだと思う派です。別に着火剤が嫌いなわけではないですよ・・・。)



 皆様は、富士山の頂上で携帯を取り出しますか?

2013/07/07

週末雑感

梅雨前線が上がったり下がったりを繰り返すうちにずいぶんと夏らしさが増しているように感じる今日この頃ですね、李花尺です。
 さて、次作も「とともシリーズ」を予定しており、現在制作中です。梅雨時の日常ですが、さてさて梅雨が明ける前に投稿できるのでしょうか?・・・関東は梅雨明けしたそうですが、そんなことは知りません。


で、暇話。


前回は私の物語作りに影響を与えているものを少し紹介しました。今回は音楽についてお話することにしましょう。

私の音楽経験というのはかなり限られています。中学・高校まではラジオが主な音楽源でした。大学に入ってCDを「借りる」という手段を手に入れて(遅い!)、いくつかの好きなアーティストに出会いました。iTunes storeでお勧めのアーティスト機能から多少の出会いも会ったと思います。ですが今は忙しくなってまた音楽から遠ざかっています。
 私のお気に入りのアーティストですが、ざっと思いつくままに列挙していきますと、

天野月子・鬼束ちひろ・cocco・東京事変
柴田淳・Lyrico・mink・元ちとせ・一青窈
坂本龍一・久石譲

こんな感じですか。男性ボーカルのアーティストが入っていないところに偏屈さを感じますね。基本的にバラードが上手い人が好きです。友達にはなんでこんな暗い曲ばっかり聞いてるの?と不思議がられたこともあります。でもHALCALIは好きですよ、M君。でも、たまにアップテンポの曲をかけていたら「らしくない」と言われましたね。どっちなのよ。
 基本的に出会いはツタヤです。手にとって面白そうだな、と思って借りる、好きになる、ですね。何かのテーマソングやED、OPにであることに気づくのはだいたいその後です。

 危ないバランス感覚の曲と声が好きです。天野月子の「人形」とか鬼束ちひろの「月光」とか、東京事変の「遭難」とか、coccoの「樹海の糸」とか。物騒な曲・狂気のさたを含んだ曲を力強い声で訴えるのが好きです。
 そういった危うげな力強さとは対極な、優しい歌声も好きです。柴田淳とかLyrico(最近、露崎春女にもどった見たいですが)の高音が透き通っている感じが好きです。minkは独特のハスキーボイスがものすごく素敵です。元ちとせと一青窈はなんだろう、ちょっと異国の香りがするんですが(元ちとせは奄美でしたっけ?一青窈は台湾でしたよね)、そのどことなく異国情緒漂う声質と歌い方が心地よいのです。柴田淳なら「ぼくの味方」、Lyricoの「キセキノハナ」、minkでは「すき」、元ちとせは「語り継ぐこと」、一青窈といえば「かざぐるま」。一曲だけ選ぶことは難しいですが、どれも素敵な捨てがたい良い曲ですね。あ、元ちとせとの出会いは、日本でリュウグウノツカイがたくさん見つかったときに、YouTubeでリュウグウノツカイの映像に「竜宮の使い」という曲を合わせていた作品を見た時ですね。そのときに、いい曲だなぁと思ったのがきっかけでした。
 とまぁ、基本的にJ-POPの女性アーティスト(ごく限られた)によって私の音楽経験は占められています。久石譲は映画からですね。坂本龍一との出会いは・・・忘れました。確か、YMOというメジャーなグループがあったらしい、というところから出会ったと思います。
 今、iTunesをのぞいてみると、68アーティスト、1741曲(コモンズからダウンロードした音源を含む)ですから、そんなにたいしたことないことが分かります。ちなみにここであげたアーティストだけで823曲ですから、半分近くがこの10名のアーティストによって占められていますね。そう考えるとものすごく限られてますな。


 音楽から作品のインスピレーションを受けるか?私の場合はどうでしょう?台本よりも先に利用する音源を決めていたことはありませんし、「この歌をもとに作ろう」という明確な意識をしたこともないので、原案につよい影響を与えているものではないと考えられます。


お勧めのアーティストなので、まだ聞いたことがないようでしたら、ツタヤで借りてみては如何でしょうか?