2012/11/27

報告やら予定やらなんやらかんやら

久しぶりに「李花尺について」のページを更新しました。・・・といっても内容がさほど増えたわけではないですが。

主な変更点は、大百科への記事へのリンクと、「巡るは季節」のマイリストへのリンクを足したところです。うん、普通ですね。

あと、ブログでのコメントで、拙作「色の名前」が再生できない不具合があるとの報告を頂きました。これは本格的にリメイク(というよりは再構築)をするエネルギーが溜まってきましたね。さて、どうしたものか。

今後の予定としては、東方百人一首劇というシリーズを始めるつもりだったのですが、どちらを先にするか(新シリーズか、「色」再構築シリーズか)、はかなり迷いどころです。あえて、並行的に進めてみるというのも手ですが。


ということで、ちょっと予定は定かではありませんが、12月からはシリーズ物を始めようと思います。

2012/11/25

姫海棠はたての気になる写真【後書き】


さて、中途半端な物語となりました。この物語を造るきっかけになったのは、文の取材の第6話が権利者削除をくらいまして、それがはたて登場回だったためです。で、せっかくだからはたてを中心にした物語を作りました。

文の取材がだいたい初夏から夏にかけての話で、その番外編としてその秋の話があります。今回の話はその次の年ぐらいの夏の話だと思って貰えば結構かな・・・と思います。動画の最後にも一文書きましたように、何故か天狗の話はどんどん繋がって、発散して、いっこうにまとまる気配がありません。困ったものです・・・。

動画の最後、はたては何を思いついたのか。ちょっとだけ触れておこうと思います。

はたては最近になって念写で引っかかってくる綺麗な花の写真のほとんどは文によるものだと考えた。・・・その一部は文の新聞にコラムとして掲載されているが、そのほとんどは眠っているようだ(・・・実はアルバムを作って幽香に渡して居ますし、それは幽香がレティに見せに行っていますね;拙作「冬に咲く夏の思い出」参照)。ということは、文はどういうつもりか知らないが、花には興味を持っているくせに、いまいち素直になれていないようだ。つまり、文がすでに使った写真をのぞいて、それを中心に幻想郷の四季とでも題して新聞を作っても、文は面と向かって私に文句を言ってこないだろう。文はなんとも微妙に恥ずかしい気分になるに違いない。これは面白い。・・・それにせっかくの写真を眠らせておくのももったいない。

というようなことです。素直じゃない悪い子ですね。
もちろん、これには当然、花を紹介した幽香もかんでくるでしょうし、あるいは念写に文の写真じゃないものが混じってきて、じゃ、これはなんだ・・・みたいな話に持って行くのも面白いでしょうし・・・と、物語がどんどん繋がっていってしまったのが現状です。・・・が、動画にするのも面倒なのです。

文の取材もそうですが、延々と続いていく日常が湧いてくるのは、おそらく、天狗が人間くさいためではないかなぁ、と思っています。私は多くの妖怪や神様を「美しいモノ」「完全性の高いモノ」として捉えています。それそのもので完結しているので、必ずしも他者との関わりを必要とせず、感情の起伏も少ない(だからこそ、小さな事が大切なのかもしれませんし、関わりそのものが大きな物語になるのかもしれません)。そういった存在とは違って、社会性のある天狗は他者との関わりをもつが故に、人間くさく、次から次へと関係性を構築していくのがごく自然なこととして起こるのだと思います。

椛とニトリの立ち位置ですが、なんというか、この2人もずるいですよね。文とはたての関係をにやにやしながら2人で見ているという。でも一番面白いかもしれない。ニトリは機械いじりが好きですし、椛は千里眼をつかって山を守る(あんまり作品として描いたこと無いですが)という自己がありますから、2人に対して嫉妬をする必要もないので、きっと思う存分にやにや出来るのだと思います、悪友ですね。