2012/04/14

巡るは季節-3 【後書き】

さてさて、第3話まできました。これにて「巡るは季節」は一つの区切りを迎えることになります。

 3話ではあえて、どれだけの時間が経ったのかをあやふやにしました。最初の紫との会話は第2話からの続きです。そして、紫とスイカとの会話は、「女」と紫が別れて数日後の話です。その後、老人が女を紹介しているような絵と、何かを建てている絵と「女」が驚いている絵、そして博麗神社と小さな家が写った絵が連続してなんの説明もなく続きます。これはどういうことかといいますと、「女」が里の人間に「〜この地は各地の妖怪が集まる結界が神社に仕掛けられており、それを壊すとどうなるか分からない。しばらくは妖怪がたくさんやってくることは避けられないが、私のような妖怪を退治することが出来る人間もこの地に引き寄せられるから、心配はいらない。博麗神社は結界の依り代になっているから、あそこに巫女を復活させることで安定するだろう。ここに来たのもなにかの縁だから、私が神社に住むことを許してくれないか〜」ぐらいに説明して、妖怪に困っている幻想郷の人間は「女」が非常に物腰も柔らかだし、腕も確かなので、歓迎した。そして博麗神社は簡単な社が残っているのみだったので、新しく巫女のための家を建てた。思った以上に立派だったので、驚いた。そしてそこには「女」と、それに会いに来る紫がいる・・・という感じです。「女」が幻想郷に流れてきたのは6月ぐらいで、第3話の作中で、博麗神社の社務所ができたのが7月ぐらい。そして、秋になって、冬が訪れて・・・という流れでした。いわば、1−3話はおよそ半年の間の出来事です。

 さて、今回は大胆な裸体の描写を行ったわけですが、それなりに意味があったので描きました(おいおい分かってくると思います)。もちろん、愛するためにお互いが直に接するというのは、別段不思議なことではないと思うので(それがヘテロでもホモでも)、物語の流れ上、ああいった描写があってもいいんじゃないでしょうか。ただ正直なところ、描くのは疲れました・・・。

 ちなみに、「女」は一度も紫に感謝の言葉を口にしてませんし、愛の言葉もささやいていません(紫を許してはいますが)。彼女は紫に依存してはいないのです。それを注意して描いたつもりです。どこか超然とした印象を与える存在として描きました。

 彼女はその冬、神社から里に行く途中に雪崩に巻き込まれました。冬になって、紫も雪崩を心配したでしょうが、彼女がスキマを使うのは、紫との「約束事」を果たすときだけで、人間としての生活においては彼女はスキマの利用を拒否していた、という見えない設定がありまして、このため、彼女は不運にも雪崩によって命を落とすことになります。
 紫を心配して萃香が紫の家を訪れていますが、紫はどのような状態にあったのか、私は描くことが出来ませんでした。きっと、自分を責めていたのだと思います。妖怪ですから、物理的な責め苦はそれほど意味がないでしょうが、自身も氷付けになっていたのではないでしょうか。紫は、感情を取り戻したのだと思います。そして、それはきっと大切な意味を持っているのです。その辺りも、今後、描いていくつもりです。


さて、「巡るは季節」の第一部は甘く美しい幻想郷の始まりの終焉を以て幕を閉じます。第二部をお待ち下さい。

2012/04/05

4月3日、4日と日本列島を春の嵐が通過していきました。台風を思わせる雨と風で桜が散った所もあるでしょう。こちらはまだ桜にもはやく、散ってしまった春の草木は少なかった様に思えます。コブシの花は散りやすいと思い、心配していたのですが、まだ固かったのか、ほとんど残っていました。春が遅かったのが幸いしたのでしょうね。

さて、今日は先日の嵐とは対照的な、静かな雨が降っています。霧雨でしょうか、遠くがかすんでいます。

司馬遼太郎の随想に「三月の雨は六朝の涙に似たり」という言葉が出てきたのを覚えています。確か、漢詩の一節だったかな・・・

このくだりがどのような流れだったか、記憶は定かではありません。しかし、ふと、今日の優しい雨を見て思い出しました。

長江のゆるやかで駘蕩とした、それでいて巨大な流れを引いた水路に架かる石の橋と柳、遠くにかすむ高楼、廟、朱で彩られた複雑な装飾の丸い窓。

中国を夢見る時、そういった風景が思い起こされるのですが、実際はどうなのでしょうね。日本では、多くの神社の境内で凛とした空気を感じる事ができます。中国の大きな私有(あ、私有はありえないのかな?)の庭園にもきっと、駘蕩とした世界が残っている事を期待しているのですが・・・淡い夢なのでしょうか。

雨を涙に例えるのはよくあることですが、時代の涙に例えるのもなかなか風情がありますね。今日は濡れれば冷たく、春を遠ざける雨が、強くふる訳でもなく、かといってやむことなく、降り続いています。なにか、泣いているのかもしれませんね。