2011/01/29

気づいた・・・!!

アンケートにご協力下さいましてありがとうございます。まだアンケート期間中ですが、傾向は変わらないと思います。次も長編が見たいとおっしゃってくださる方が多いようですね、なるほど。長編はすぐには始められないので、およその物語が練れるまで「ととも」シリーズで短編を1・2本あげたいと思います。せっかくの皆様の意見を無視するわけではありませんので、ご了承下さい。

ところでこの投稿のタイトルですが、実は「ととも」用の短編を作成中に気づいてしまったのです。

レティさんって長髪じゃない・・・!


すでに2回、レティさんを登場させた物語を投稿しています。気になって確認したところ、作中で徐々に髪の毛が伸びてる・・・!!最初は肩口ぐらいの長さ(これでも標準的な髪型より長いですが)徐々に肩下になり、二の腕ぐらいまで伸びています。どうも、レティさんを長髪で描く習性はすでについていたようです。ちなにみこんなシーンを作ってました。ものすごい長髪ですね。これはこれで素敵だとは思いますが、これから全部書き直しです。

2011/01/26

ゾンビ禍最終話コメントへのコメントとお知らせ

前回の書き込みではえらく軽卒なことを書いてしまい申し訳ありませんでした。不快に思われた方はすいません。

えっと、たくさんの人に見て頂いたゾンビ禍シリーズですが、コメントもたくさんして頂きうれしいです。
まず、「ダイソン」に笑いました。しばらくはタグもついていたようですが消えてますね。あと、最後の村人とアリスとのやり取りで「計画通り」にも笑いました。確かに、下心があっての会話ならうまくアリスを誘導できてますね、想像できなかった。

で、最後の霊夢に対するコメントなんですけど、最初は霊夢が原因ということで、ずいぶんと責められました。そんなコメントばっかりだったらどうしようと思ったのですが、最後は霊夢を心配してくれるコメントも多くて助かりました。後、永遠亭に運ばれた「二人」のその後を案じる声もあったので、動画に収まりきらなかったエンディングと言うかエピローグをこのブログで挿絵入りで掲載する事にします。ちょっとお楽しみに!

2011/01/25

ちょっときになったので

ニコニコのホーム画面で面白い記事を見かけました。

「ブラックジャックによろしく」を無料配布する

びっくらこいて記事をざっと読むと、まぁ、無料公開しても害はないし、次の漫画で稼げばよいということでした。

確かに無料配布してしまえば、海賊版の問題は多分出ません。だって、無料で手に入るものを海賊版で買う必要はありませんからね。そして改変(色を塗ったりを私は想像しますし、需要も多い気がします)についてもOKだそうです。著名な漫画家が二次創作の(?)材料を無償で提供してくれるのは進歩かもしれません。

が、「次の漫画で稼げば良い」というところが引っかかります。
じゃあ、この人は次の漫画もある程度売れたら(あるいは何かしら衝突があれば)無償で公開するのでしょうか?漫画を完全に自分で売る手法を取らない限り、どこかで間接的に人を養っている訳です。それが出版社であろうが、サイトの運営会社であろうが同じだと思います。ネットだって販売のサイトを運営するにはお金がいりますからね(スタッフ、作品を置くサーバーを借りたりしないといけない訳ですし)。ですので「次で稼げばいいからこの作品はもう著作権フリーね」、というスタンスはものすごく自己中心的に感じるのです。


私は佐藤さんが講談社とどのような軋轢があったかしらないですが、ちょっと、小首をかしげてしまう記事でした。

いやはや、ちゃんと調べないでしゃべるといけないことがよくわかりました。ちょっと、佐藤さんの考えをちょっと検索してみたのですが、漫画の投稿システムを作って、そのシステムそのものは基本的には解放することを考えておられるそうです(漫画 on Webにてすでに運用中)。オンラインでリーダーなしに読めて、課金できて、お金を作者に還元できるシステムを作っていたのですね。失礼いたしました。

うp主の読み方

コメントにてうp主の読み方について尋ねられたので一つ。

ほんとは一時的なニックネームにするつもりだった「李花尺」。読み方は「りー・かじゃく」ないし「りー・ぱちぇ」と読みます。中国語辞典を引いて「パ」「チェ」と発音する言葉でなんかよさげな感じをチョイスしたつもりです。が、間違っていたらどなたか指摘してください。

2011/01/24

後書き 【東方ゾンビ禍:第8話(最終回)】 (追記あり)


全9話という長い話におつきあいくださいましてありがとうございました。この物語を完結させることができたのも、皆様のコメントやマイリスト、もったいないような宣伝があればこそでした。本当にありがとうございます。

さて、物語を終えて、なんともいえない虚脱感があります。あのエンディングを作ったこともかなり影響していますが。しかし、音楽の力は偉大ですね。名曲の無駄使いとか言われないことを祈っています。

以下、この物語についてどういう設定をしていたのかを述べたいと思います。これを読まねば物語が理解できない訳でも、これが正解な訳でもないですし、なにより支離滅裂です。さらには長いですから特に読まなくても結構です。ですので、読まれない方はサイドバーにあります、投票(次回作の長さに関する質問)にご協力願います。


<アリスの設定>
アリスの人間に対する考え方について、自分の関わっている村(集落)についてはものすごく大事に思うという特徴があります。うp主がこのように考える理由は、ものを食べる習慣の上で人との交流が必然的にあったことにあります。彼女が人間だった(可能性がある)ことも大きな理由です。この物語では上海人形をかなり自律型の人形として解釈しており、自律性を高めていく上で、「人」を観察することが必要で、かつ好きだったのだと思うのも理由に挙げることができます。0話でアリスが走り回っている描写がありますが、あれは飛べないのではなくて、一軒一軒見て回るためで、飛べない訳ではありません。で、霊夢&魔理沙との会話の後のアリスですが、彼女は村で村人の亡がらを集め(その様子を隣村の村人に見られていて、村人は最初不気味に思いましたが、彼女の行動に遠巻きながら感謝する様になります)、墓を建てた後、独自に調査を行こうとしたという設定です。霊夢&魔理沙に加わらなかったのは、霊夢が自分を疑ってかかったことがまず原因にあります。独自調査ですが、村の慰霊にけっこう時間がかかりましたから、文に声をかけられた時点で、これから調査に乗り出すところだったと考えています。で、紅魔館では文&パチェから説明を受けて、魔法の準備を行ったというところです。ちなみに紅魔館で霊夢に渡した瘴気は魔理沙から抽出されたものです。

ちなみにアリスによる最後のシーンはかなり前から決まっていました。正確に言うと、2つまでしぼられていました。
一つは今回採用した、おじいさんに誘われて行った新しい村でまず、子供が上海の人形劇を見たいとせがまれて、そこから村の人と仲良くなるパターン(人形劇の場面で終わってますが)。
もう一つは、おじいさんに誘われて行った新しい村でカボチャを買って、スープを作って、それを前にしてアリスの涙で終わるというパターン。
没案はちょっと、鬱すぎるかな、と思いやめたのですが、かなり迷いました。ちなみに0話のサムネにしたアリスの人形劇はゾンビ禍に最初に教われた村、「仏谷村」での人形劇のつもりで描いてました(コメントで指摘がありましたね)。ですから、採用した案も0話での悲劇をベースにしているので、よく考えると鬱臭いですね。でも、採用した案の方が前向きかな、と思いませんか?少なくとも私はそう思います。

<霊夢&魔理沙>
すでに後書きでそのコンセプトは述べていた気がするので、重複があれば許してください。要は二人は10代の子供だと言うことです。ですから、魔理沙は不用意な発言をしますし、霊夢は妖怪の仕業だと結構信じているし、その後も疑心暗鬼になって理性的な判断を失っていたりします。コメントでは脳筋とまで言われていましたが、それほど合理的な判断を出来ていない以上、適切なご指摘だと思いますし、そういう一面はあると思います。また、瘴気に侵された魔理沙を紅魔館に運ぶ選択を「勘」の一言で片付けています。皆様コメントにていろいろ理由を考えてくださいましたが、私としては、本当に「勘」だったのだと思います。物語を作っていく上でも、紅魔館の方が展開が面白いな、とか、そういうことは全くと言ってよいほど考えませんでした。ですので、紅魔館の選択についてのコメントは、「なるほど・・・」と感心してしまいました。で、彼女達は物語に振り回されただけのようになってしまいました。それは霊夢がそもそもの原因にあるということでお仕置きの意味を紫が持たせたためであり(後述)、仕方がなかったと言えます(協力してもいいわけですから)。以前の後書きでは、妖怪の情報網について述べましたが、あの設定は嘘ではないのですが、今回は紫の意向が強く影響していますので、萃香ですら情報を隠していたのは特殊な事情があったと思ってください。ま、二人はまだ子供なんですよ。でもそれはきっと妖怪達に取っては新鮮なのです。

<紫>
描かれていない割には動きの多い妖怪でした。「幻想郷」を愛する妖怪として、異変自体には早くから気づいている(アリスの火事直後)。経験から来る直感も鋭いと思います(do not mean BBA!)。ですから、アリスの一件の直後には原因が瘴気であること、それが何らかの原因でものすごく濃いことを悟った。で、さすがにそれだけでは分からないので文を召還して調査を頼んだ。同時に村をのみこんだり、瘴気の動きをのぞいたりした。で、霊夢が原因だろうと悟ったのは、「ゾンビ」の噂が広がっているとまず文から第一報が入った時点を考えていました。それ以後、霊夢を反省させることを企てて、文に情報収集と同時に妖怪に対して箝口令をだすように文に頼んだ。で、霊夢達がすったもんだやった後、結局魔法で解決させた。霊夢に対する命令の「人を集めてなんか言いなさい」、というのは、霊夢の言葉で解決できるかどうかを見ることで、霊夢の求心力というか、人心掌握力を測る目的もあったり、だめだったとしても、魔法使い達が一括して処理してくれるだろうという読みから出たのだと思います(最悪、スキマに引きずり込むこともできたでしょうし)。紫は別に紅魔館と連携を密にとっていた訳ではありません(紅魔館としても文の後ろに紫がいることは感じていたでしょうが)。

<文>
かなり暗躍しています(する予定でした)。が、あっさりそのシルエットでばれてしまった、今回残念なキャラクターになってしまいました。彼女の思考としては特に変わった設定を持ち込んではいません。新聞屋としてアリスの起こした火事を見て飛んできた。で、本来はことの顛末を調べて記事に出来るぐらいにしか思ってなかった。が、アリスと分かれた直後に紫に捕まり(スキマにて召還された)、紫の見立てを聞かされ、紫の手足となって働くことを承諾した(きっと、なにか取引があったでしょう)。精力的に情報を共有させたのは紫の意図です。基本的に作中で「焦げ文」は一言程度しかしゃべりませんが、別にあれだけしか会話がなかった訳ではありません(それが分かる様に会話の途中をきりとったつもりです)。基本的にはゾンビの発生状況と霊夢と魔理沙の足取りと、彼女らに情報をもらさないでほしいと頼んでいたと思います(幽香のように取りつく島もない妖怪もいますが)。彼女は幻想郷が崩れるのは困ると発言していますが、これは彼女(を含め大半の妖怪)は人間がゾンビになることよりも、ゾンビになることで人口が激減することを心配していることを意味していると思います。その辺、アリスをのぞいてドライですね。

<紅魔館>
ぱちぇりーとやってしまった。ま、パチュリーは魔法使いとしての興味しか持ち合わせていないので、別に人がどうなろうと興味はない。でも、魔理沙の治療と、濃い瘴気を魔法使い複数で浄化するというプロジェクトは、魔法使いとして興味があるので協力したというところでしょう。魔理沙の体も調べ回ったに違いありません。だって、人間なのに十分な魔法使いですから。自身が魔法使いという種族になっている以上、違うタイプの魔法使いに興味を持つのは当然です。ですから、若干悪い顔をしているのはそういう意味です。後のキャラクターはそれほど特徴づけていません。が、美鈴が瀟洒であったりするのは私のデフォルトですし(眠くて寝るなんてありえない、寝るなら意味があるはず)、咲夜が一言もしゃべらないのはメイドであり、あの場での発言権はないと考えられるからです(ただし咲夜の立ち位置がレミリアの後ろなのはおかしいですよね、後見人じゃないんだから)。

<永遠亭>
今回、永遠亭はほとんど物語に絡ませませんでした(というか、絡めようにも私の力量を超えます)。永琳はあくまでも人(死なないがあくまでも「人」、正確には月の人か)なので、妖怪やその他の「よくわからないなにか」については弱いだろうという設定を持ち込みました。ですから、瘴気が体をおかしている状態を脳波のみだれで確認することは出来ても、その原因を取り除くことは出来ないし、鈴仙が波長をつかって瘴気という妖怪のようななにかを「焼き殺した」結果を理解することも出来ませんでした。そういう設定ですから、ある意味霊夢の勘は正しかったのかもしれません。ちなみに永遠亭に運ばれた二人に千代ちゃんを含ませたかった(コメントで気づいている人も居られたのですが、恐縮です)ので、運ばれた村人が映っているシーンは千代ちゃんを想定しています。これは萃香の発言と矛盾する可能性が大なのですが、うp主の精神衛生上、必要だったので許してください。で、もう運ばれた1人はゾンビの喰い合いの最後の1人を予定していました。実は助けられた二人が永遠底から出て行くシーンを挟む予定だったのですが、カットしました。ま、それほど永琳や永遠亭のメンバーについて描写した訳ではないので、設定はこの程度ですかね。

<萃香>
特に設定はありません。ゾンビになった村をとりあえず封鎖して霊夢を呼びにいったのは、萃香と霊夢は仲がいいだろうしなぁと思ったからです。



<幽香> 1月25日追記

基本的に人間に興味のない優しい(?)妖怪です。魔理沙とのやり取りは結構序盤の盛り上がりのポイントだったりするのですが。ゾンビに「警告」を発したのはゾンビであることの確認であると思います。その辺優しいですよね。ただ、ゾンビが谷から出てきた時点でその村がゾンビにすべて侵されていると判断したのはちょっと、ざっくりしているような気もしますが、でもゾンビにおびえる恐怖とか、結局助からない可能性があの時点では高かったことを考えれば、妥当な判断なのかもしれませんが・・・。



ちなみに、最後のひまわりは、きっと幽香がくれたに違いありません。辺境の村に大した花は咲いてなくて、里に行けば売っているかもしれませんが、基本的に辺境ほど貧しいものですから買えない(里から遠いのも原因の一つ)。きっとこういった事情を説明したら幽花も1本ぐらいくれますよ、きっと、優しく微笑みながら。そういう幻想郷であってほしい、という妄想に準拠しています。




<最後に>
何度も同じことを言って見苦しいですが、
見て頂いた方、コメントを残してくださった方、マイリストに加えてくださった方、宣伝をしてくださった方、最後までおつきあいしてくださいましてありがとうございます。おかげさまで、始めて2525再生、100マイリストを突破いたしました。これらが励ましになって物語を完成させることができました。本当にありがとうございます。それでもまだまだ不出来なところもあると思います。これからも精進していきますので、どうぞ次回作もご視聴くださいませ。

2011/01/23

名前

ちょっとここでとりあえず決めたいことがあります

最初はOkmというニックネームで動画を投稿していました。で、ちょっと李花尺という名前に変えました。これ、ゾンビシリーズを終えたらまたOkmに戻すつもりでした。ですが、予想以上にこのニックネーム気に入りまして、このまま使っていこうと思います。ですが、Okmも捨てがたいので、「李花尺」と「Okm」を併用して行こうと思います(面倒な奴で申し訳ない)。


基本的に「李花尺」が名前のうp主で、中身が「Okm」というスタイルで行こうと思います。非常にどうでもいいことですが、以上、よろしくお願いします。

アンケートご協力のお知らせ

いろいろブログをいじってみると、どうやら簡単にアンケートを採れるようなので、ちょっとやってみたいと思います。

右のサイドバー(アーカイブとか広告とかあるスペース)にどれくらいの長さの動画がよいのかアンケートを置いてみました。ちょっと気になるので、よければアンケートにご協力下さい。短編・中編なら「ととも」で、長編なら、「ゾンビ禍」のように別枠で作ろうと思います。

私自身(視聴者)としてはトータルで60分を超えると一気見がつらくなるので、その尺に収まる方が好きですね・・・。東方ゾンビ禍はそう言う意味ではかなりぎりぎりの作品です。

このブログを見てくださっている方がどれくらいおられるのかは分かりませぬが、2月の頭までアンケートを採るので、ぜひ、一度、投票してください。投票がある、それだけでも励みになるのでよろしくお願いします。


あと、ブログをいろいろいじりました。

土日のお絵かき

さて、今日はちょっと、疲れたので、ぼんやり落書きをしました。実はこういう落書きはこれまでにもしていたのですが、その場で消していました。先日、少し消すにはもったいない落書きが出来てここに載せたのですが(「輝夜入浴中」)、せっかくなのでこれも載せてみたいと思います。構図とか、別に何のひねりもございませんが・・・



白蓮さんです。ちょっと、イメージをつかみ損ねているので、いまだ私の中で物語が紡げていません(白玉楼の二人もそうですね)。でも、周りの妖怪も充実(?)しているので、そのうち登場することになると思います。しかし、不思議なグラデーションのかかった髪の毛ですね・・・これ、作品にするときは面倒くさそうです。

2011/01/22

魔が差したら・・・

昨夜、ぼんやりと書いていたら、こんなのが出来てしまった。 orz

自分でもびっくりですよ。えらく「おおきい」ですが、輝夜です。
なにやら表情がよかったので、消すのはもったいないのでここに載せておきますね。
ところで、これ、ぜったい、のぞきに気づいている表情ですよね。
いや、本当に何を描いてるんだか・・・




輝夜:「・・・何を描いたのかしら」
主:「あ、いえ、その・・・すいません」
輝夜:「どうしようもない子ね」
輝夜入浴中・・・

2011/01/21

タグにコメント(ゾンビ禍7話)

いや、今回のタグも面白かったですね。

「焦げてねェ丸」「アバウ東方」

文がやっと姿を見せました。というか、本当は文の存在をここまで隠す予定だったんですよ。

「先手先手を打つ様に動く陰がいて、それは果たしてゾンビを生み出した黒幕なのか?霊夢達の動きを伝える真意とは如何に!?」

みたいな展開を予定していたのですが、あっさりばれましたね。もっとカメラさん近づかないとシルエットでばれてしまいましたよ、反省です。・・・もっとも、口調である程度分かる様にはしたんですよ。例えば、スイカに話しかけるときは丁寧語にするとか。一次設定ではスイカとは普段言葉で喋るという設定だったようにも思いますが、一応、鬼に対しては丁寧にしゃべってもいいかな、と思いましたので。その辺は工夫したのですが、予想外でした。ま、先手先手をうつ機動力があって、かつ、情報をリークしているような役回りは文 or はたてぐらいしかいないでしょうから、仕方なかったのかもしれません。でも陰の特徴って、短めのスカートぐらいでしょ?羽は描かなかったし、帽子(?)は描きましたけど、ごく控えめに描いたのでばれないと思ったのですが・・・


あと、博霊霊夢になってましたね。博麗霊夢です orz
でも、これはコメントで指摘される前に気づくことができました。と、いっても何の自慢にもならないのですが。

追記:おや?文さんから何か言いたいことがあるようです



うp主:「おや、どうされましたか?」
文:「焦げてるとか、どういう事よ!?私は焦げてないわよ!!」
主:「ちょ、私のせいではあ゛ぁ゛ああぁ・・・・」

2011/01/19

コメント その2

先日、批判的なコメントもほしいな、というブログでの発言をした後で、思ったことをつらつら書きたいと思います。

「(初回)コメント非表示推奨」というタグ(類似するタグを含め)を動画が荒れた状態を表す指標として私はとらえています(勿論、動画としての質がすばらしく単に「コメント」が邪魔になる動画もあります。大百科にも定義されてますね)。で、低質なコメント(罵り合い)がたくさんある状態は、確かにあまりうれしくない状態だと思います。
が、別にけんか腰になってもいいですが、何か議論してもらえたら、その動画としては意図していたにせよ、そうでなかったにせよ、意味があるのだと思います。私の投稿した作品も多少なり、議論の余地があるはずです。例えば、私は輝夜を「自然を愛する姫」として定義して、美しく書きますけど、それに対して、批判してもらって結構なのです、「彼女も人間だろう」と。二次創作といえど、その設定自体に含まれる盲点や矛盾は指摘されて当然であるし、それに対しての反論もあるべきなのです。一次設定や他の作者様の二次設定と比較してもらってもかまいません。むしろ、どのような人物こそがそのキャラクターにふさわしいかを考えることは楽しいですし、面白いと思うので、推奨したいくらいです。ただ、それをよそ様の動画でやられるとまずいですが。もちろん、動画を楽しみたい場合にはそういったやり取りは醜いものかもしれません。が、動画を楽しむことと、動画を議論することは分けて考えることができた方が、なにやらよい気がするのですが、どうでしょうか。コメントあってのニコニコですから、たのしむときはコメント非表示で、動画内容を食べるときはコメント表示で、という使い分けは無理かもしれませんね。


ちなみに、私にとって弾幕や職人と呼ばれる人のすばらしく面白いコメントは、動画という完成された料理に後から醤油やソースをかける行為であり、それによって美味しくなる一方で、本来の味を隠すものだと思います。wwwのコメントや動画のぼけに対する突っ込みは動画を楽しむという目的にかなっていると思うのですが、弾幕や秀逸な職人芸は(それを期待しての動画は別として)ちょっと作者目線では避けてほしいコメントです。


以上、コメントに関することでした。


2011/01/18

東方ゾンビ禍:第7話 【後書き】

さて、7話まできました。

瘴気という存在ですが、これを原因とするというコンセプト自体はわりかし早い段階で決まったのですが、これが受け入れられるかどうかは投稿後、すぐに書かれている現時点では分かりません。作中ではほとんどその原因となった瘴気の必然性や詳しいメカニズムは述べられていません。

ちなみに、アリスに説明を求めたのは、パチェさんは説明が専門的で、話が長く、必要不可欠な情報を端的に述べることがちょっと苦手だろうという妄想に準拠しています(第3話でも魔理沙がゾンビの説明を拒否しているシーンがありますよね、あれも同じ理屈です)。後、パチェさんの名誉のために言っておきますと、説明が分かりにくい訳ではありません。ただ、詳細に話をする癖があるだけです、ええ。

話をもどしまして、今回のゾンビに関する設定を述べたいと思います。まず、ゾンビには3種類あります。

1:魔法によって人間から理性と感情と、感覚を奪うことによって作られたゾンビ。したがって、術者による魔法が解けることによって理性や感情を取り戻すことが可能。催眠術に近いが、魔法によって肉体の強化、行動原理をある程度指定することによって半自立的な行動がとれることが催眠術とは異なる点。様々な方法(お札をはる、薬を飲ませる、魔法陣の上を通らせるなどなど)によって生み出すことが可能。作中でパチェさんがおっしゃった通り、術者による魔法の解除がもっとも有効な解決法だが、いろいろ対策があるようだがそこまで、設定は考えていない。

2:細菌やウィルスによって作られたゾンビ。これは永琳がかなり詳しく作中で説明してくれたので割愛。生物兵器によって作られたゾンビとほぼ同義。ゾンビを作り出すなんてそんな都合のよい細菌やウィルスは多分、この世に存在しないだろうけど。

3:瘴気によって人々の恐怖心につけ込み生み出されたゾンビ。人の恐怖心に取り入る瘴気によって生み出される。

で、ゾンビ禍シリーズでは3番目のゾンビでした。で、詳しく解説したいと思います。

まず、瘴気ですが、瘴気とは、作中で説明があった通り、雰囲気です。正確には「妖怪ではないが、意思(たいていは人間に対する悪意)をもった空気」です。そもそも妖怪(神様を含め)というのがよくわからない存在なわけで、それが具体的な存在として存在できる幻想郷であるから、そのような具体的な存在に至らない「なにか」が存在してもいいじゃないか、という妄想に基づいています。で、瘴気自体はかなり自然発生していると考えます。ひとびとが何かを恨めしく思う気持ち/恐怖する気持ちが空気中に伝わって、それがただよって吹きだまり、それが「意思」をもった瘴気へと変わる。最初にゾンビが発生した村はそのような瘴気の生まれる吹きだまり(魔法の森も含む)に近いせいで、これまでも「病気」や「狂気」を生み出す瘴気に比較的犯されやすく、「不吉な」村扱いを受けていた、ということです。

で、今回は、ゾンビの噂(シリーズ最初の会話シーンを参照)を耳にした村人達の恐怖が集まり、ゾンビを生み出す瘴気を作り出した。しかも具体的な恐怖「おそろしいゾンビという存在」が集まったために通常発生する瘴気に比べ、非常に「濃い」瘴気が生まれた。メインの里からその噂が持ち込まれたのが第0話のちょっと前、で、村人がたまたま寝込んでいて(これは単なる病気)、ゾンビとかやだな、とかそういうふとした恐怖に瘴気がつけ込んで1人「ゾンビ」へ、それを見た人々は恐怖するわけで、連鎖的に瘴気が人々の心を喰って、ゾンビが発生するという訳です。で、瘴気はあくまでも人の恐怖につけ込むので、動物はゾンビになりません。だから、動物ゾンビは描いていません。妖怪が感染しないのも同様の理屈です。霊夢はゾンビ妖精はいてもゾンビなんていないと信じているので、瘴気が霊夢の心を喰うことは出来ません。一方で、魔理沙はゾンビは「うつる」ものだと思っているので、それを意識して恐怖する心に瘴気は取り入りました。で、「かゆい」とかは魔理沙のゾンビに感染する際のイメージです。魔理沙が瘴気に感染してすぐにゾンビにならなかったのは、ゾンビになるには時間がかかるというイメージ(きっとバイオハ○ドとか、プレイ済みなんですよ)があるせいです。

瘴気が濃くなると吸っただけでゾンビになる、というのは、まぁ、そんな理屈があるわけではないのですが、やはり、瘴気は恐怖から成り立つものですから、ゾンビを目の当たりにした人に瘴気が感染する過程で、その人がもった恐怖を取り込む訳で、当然、強くなると妄想しました。

ゾンビの行動原理ですが、瘴気の自己増殖の原理とその人のゾンビに対するイメージに左右されます。人のゾンビに対するイメージは噂(死臭、肉を喰う、鈍い)によるもので、それほど地域によって違いがある訳ではないですが、子供は噂をそれほど理解している訳ではないので、子供らしさを残していると考えています。で、自己増殖するためには、新たにゾンビでない人にゾンビを見せつけることが有効ですから、基本的には村が瘴気に飲まれてしまった後は外に出ようとします。が、スイカが封鎖した場合は、それが叶わず、肉を喰うという行動原理が働いてゾンビ同士が共食いを始めた、という理屈が成り立ちます。

ゾンビについてはこんな感じです。次はいよいよ最終回です。終わったら、このほか、設定や、疑問に応えていこうと思います。

2011/01/17

コメント

作品の内容についての後書きではありませぬ、あしからず。


ゾンビ禍シリーズはおかげさまで現在のところすべての回において2525再生を達成いたしました。ありがたい話です。で、作り手としては、どういう風にこの作品が評価されてるのか、知りたい訳です。もちろん、コメントがそれらを推し量る重要な道具な訳です。コメントするための労力をその人に使わせているのですから。で、さらにぐぐってみますと、ちらほら、感想のようなものを拾うことができます。ですが、いまのところ、コメントも含めて好感度が高いです。が、まだまだたくさんの批判的なコメントをもらうには至っていません。

日経ビジネスオンライン(NBO)から毎日メールが届くのですが、木曜日に「フェルディナンド・ヤマグチの走りながら考える」という連載があります。そのなかで、ヤマグチさんが【「批判的なコメント」なんてもらってなんぼ、コメントももらえない状態の方が危機的】ということをおっしゃってました(うるおぼえで申し訳ない)。たしか、この考え方はヤマグチさん自身もだれかから教わった様に書かれていたので、孫うけですね。で、やっぱり、これは真実だと思うのです。あと、GT-Rの開発者である水野さんのインタビューで、水野さんが「プロは仕事を楽しむんじゃない、楽しむお客さんをみて喜ぶんだ」というような趣旨のことをおっしゃってました。仕事と趣味は違う、と。で、私の今の状況を見ると、どちらかというと、動画の制作を「仕事」としてとらえているんんじゃないかと思うのです。なぜならば、批判されてなんぼだという感覚を持っているし、よりよいものを創るためには批判される必要があるし、そういうものが欲しいし、コメントやマイリストがうれしい訳ですから。もちろん、「自分が好きなもの」を創っている訳で、自分で自分の作品は面白いと思います。が、作っている時はしんどいし、出来ても次の瞬間には「絵が下手だな」とか「展開がべただったな」とか、次のアイディアを考えている自分がいます。

ですので、具体的なコメント(よかったでもおもしろくなかったでも)をして頂けると、うp主としては非常にうれしいのです。以上、ささやかなお願いでした。

2011/01/12

東方ゾンビ禍:第6話 【後書き】

さて、6話まできました。全9話の予定ですから、残すところ後わずかです(分かりにくいことに0話から始まってますから、8話で終了の予定です)。


さてさて、魔理沙が運び込まれるだけでしたので、大きく話は動いていません。で、今回は描写をあきらめたシーンがあります。それは、動画の最後の方に出てくるゾンビが出現している谷が一瞬で消えるシーンです。これ、本当は、スキマに飲み込まれるところを描写したかったのです。

具体的には、地面に割れ目が走る
スキマが開いていく
ゾンビや、家屋がスキマに沈み込んでいく

イメージとしてはone pieceの黒ひげことティーチのヤミヤミの能力に近いでしょうか。で、何が描けなかったかというと、地面にスキマが開くというシーンです。地面というあらかじめ凹凸が設定されている面に沿って、3次元的にスキマを展開して、かつスキマの凹凸を表現するというは無理でした、あぁ。ちなみに一瞬で村が蒸発した様な描写をしたので、いったい誰の仕業か、一見すると訳が分からないかな、とも思いましたが、その直後に、ちょっと疲れた藍と紫が出てくるので、なんとか分かってもらえるかな・・・と作り手としての努力を若干放棄した(?)動画となっています。まったく検討がつかない・・・ということもないでしょうから、これくらいは許してもらえることを期待しています。

ちなみに、今回、村を飲み込むために開いた境界は、「人と人が生み出したもの」と「それ以外のもの」の境界という設定です。ですから、ゾンビと家屋や畑は飲み込まれますが、大きな自然石や、樹木は飲み込まれなかったという描写をした、つもりです。飲み込まれた後に原野が広がっていますが、きっと谷が拓かれる前は、こういった状態だったのでしょう。
飲み込まれたゾンビや家屋はどうなったのか?スキマというものの定義をいわゆる「どこでもドア」ではなく、「異次元」であると今回はしました。ですから、「人と人が生み出したもの」と「それ以外のもの」を隔てる境界(たいていは地面に相当すると考えます)が開き、人側が異次元に飲み込まれたと考えました。もちろん、「どこでもドア」のようなスキマの使い方を否定する訳ではないですし、そういうシーンが登場する予定です。やっぱり、隙間にもたれかかっている八雲紫は絵になりますから。


あと、おそらくお気づきになられた方も多いと思いますが、最後の絵(サムネでもあります)は黒田清輝作「湖畔」の構図そのままです。【東方ゾンビ禍:第6話】の投入が1月なので季節的には全く似つかわしくはないですが、なにやら、のんびりしている八雲紫を描きたくて、のんびりと言えばあれだな、と思い出した次第です。油絵も一度描いてみたいなぁ。


1月14日追記:

しまった!最後のTo be continued を忘れてた!・・・ちなみに第0話は「東方ゾンビ物語」というタイトルで始まってます。ちょくちょく整合性がとれてないシリーズになってしまった orz

ちなみに、動画の作中のタイトルではなくて、ニコニコ動画に投稿する際のタイトルを禍ではなくて、鍋にしようかな・・・と5秒悩んだんですが、やめました。

2011/01/07

東方ゾンビ禍:5話 【コメント】

カレンダーの月の表記ですが、なんとなく、「神無月」と描きました。

が、よく考えてみると旧暦の10月ですから、けっこう、寒いですね。 
今回の物語はあまり季節を設定していませんが、「夏」であると漠然と思っていました。

ですので、描くなるならば、水無月のほうが適当でしたね。文月か葉月でも可。不遜にも、東方Projectの設定をあまり知らないのですが、たしか、旧暦ではなく、新暦を導入していたと記憶しています。ですから、そもそも旧暦の表現は適当ではないのかもしれません。

大目に見てやってください。

1月9日追記:

やってしまった・・・ごめんなさい
最初のカレンダーは「水無月」になってるのに、次は「神無月」になっている・・・!
しかも、一カ所、スイカの角がなくなっている・・・!

大きなミスを2カ所も残してしまい恐縮です。それなのに、動画はたくさん再生してもらっている・・・!

精進します。

東方ゾンビ禍 第5話 【後書き】

さて、5話まできました。ここにきて霊夢&魔理沙はゾンビを目の当たりにします。

実は、この5話を描くのにものすごく心労が大きかったのです。小さい子供をゾンビとして描くことにものすごく抵抗を感じたのです。いわゆる成人がゾンビになっている状態はわりかし心に抵抗がなかったのですが、なぜでしょうか。単に見慣れていないだけかもしれないのですが、それだけでは説明できない後ろめたさがあったのです。いわゆる台本を書いているときは何の抵抗も感じていなかったのですが、これは実際に、台本を書いていたときは細かい部分までは描写していなかったためで、実際に細かい話を詰めていくときに、げっそりしました。実は昨年のうちに5話が完成しなかったのは、この子供のゾンビを描くことに悩んだためでもあります。もちろん、子供のゾンビだけに抵抗を感じるのは私のエゴでしかなく、自分の情けなさをさらけ出す結果となってしまいましたが。そして、物語を作り替えることも考えたのですが、ちょっと子供のゾンビに対する皆様の反応も気になったりして、このまま作ることにしました。

以下、動画の解釈について、すこし述べたいと思います。

ぜひ、この後書きを見てくださった方に伝えたいのは、作中で魔理沙を引っ張った子供のゾンビは決して、魔理沙をだまそうとした訳ではないということです。もちろん、それは私の解釈で、あの少ないシーンではそうであるという確証を描けた訳ではありません。ですから、違う解釈はもちろん、かまわないのです。しかし、できれば、あの子供ゾンビは魔理沙をだました、すなわち、引きずり込む意思を始めからもっていた訳ではないと思ってもらいたいのです。

そのように解釈できる理由をすこし述べます。

1)ゾンビになったとはいえ、子供なので、単純に空を飛んでいる3人に興味を示したため、手をあげた。
2)周りに折り重なっている大きなゾンビは子供の足下にある生肉を食べようとしている。
3)その証拠に子供ゾンビの周りには血溜りができていて、魔理沙はそこに手を突っ込んでしまっている
4)壁にもたくさんの血痕がついているが、それはあくまでもその生肉のもの(おそらくは犬、あるいはだれか)
5)子供ゾンビは魔理沙が来たことで喜んでいる(このシーンを描くのが辛かった)
6)一緒に遊んでくれると思ったので、引っ張ったが、結果、魔理沙を引きずりおろした

このように子供のゾンビが意図して魔理沙を引きずり込んだわけではない傍証は準備したつもりです。しかし、物語を評価するのは私ではありませんので、皆様がどう思われるかにまかせます。

ゾンビにはほとんどといっていいほど、自らの意志がないことは私のデフォルトの設定というか、認識ですから、そのへんも考慮して頂けたら、と思いますが、どうでしょうか。


ずいぶんと書きましたが、物語としてあまり考えずに楽しんでもらうのが一番かもしれませんね。

2011/01/02

あけまして、おめでとうございます

皆様、あけましておめでとうございます。

昨年の10月から始まりました東方Project二次創作、「ととも」シリーズ、「東方ゾンビ禍」シリーズを今年もよろしくお願いいたします。

今年の目標はズバリ、動きのあるシーンを切り取ることが出来るようになる、です。要は絵がうまくなりたいな、ということです。もちろん、すぐにうまくなるわけではありませんが、精進していきたいと思いますので、今年も作品をみてやってください。

皆様にとってよき年になりますように!