2011/10/28

The last incident #2 【後書き】

さて、美鈴から咲夜までが最後の弾幕をはりました。それぞれ微妙に対する思いが違うようですね。それを言葉の切れ端に潜ませたつもりです。

美鈴の場合は、「寂しさ」が前面に出て、最後を楽しむというよりかは、名残惜しむ感情の方が強い、そしてどうしても戦わなければ行けない理由を見いだせなかったのだと思います。別れの「儀式」として、弾幕を張るよりも、例えば、一日、湖畔で霊夢と過ごしたりする方が密かな願いだったりするのではないでしょうか。美鈴は門番で、霊夢とゆっくり話す機会もなかったでしょうからね。

小悪魔の場合。小悪魔としては実力差がある霊夢とは弾幕をはっても仕方がないという思いがどうしてもあるのだと思います。それは大妖精と共通した感覚でしょうか。パチュリーに貴女も霊夢と戦いなさい、といわれての参戦だと思います。ですから、小悪魔は霊夢を「倒す」という言葉を使っていません。そして最後の「いいなぁ」は、霊夢の持つ力に対して、魅力に対しての純粋な羨望の感情が最後に、ぽつりと出たのではないでしょうか?


パチュリーの場合。基本的にクールですね。弾幕を張った後、霊夢が息を切らしているのに対して、ずいぶんと余裕を見せています。が、これはやせ我慢で、手を抜いたわけではないと思います。手を抜いたら霊夢にばれると思いますから。そうしたら霊夢はそのことを指摘するでしょう。実は、魔理沙が割ってはいるというパターンも考えていたのですが、魔理沙がかませ犬のようになってしまうので、やめました。

で、咲夜の場合。忠実なメイドである彼女は、最後を楽しむと言うよりは、最後のチャンスというか、リベンジのような感覚で望んでいたのかもしれません。霊夢の言葉は彼女に届かなかったのか?それは分かりません。自分がいつか能力を失うかもしれないということと、今、霊夢を倒すということはきっと咲夜のなかでは違う次元の話なのでしょうね。


さて、道中、終わりました。それぞれの人物について、もっと会話をもりこんで丁寧に描いても良かったのかもしれません。が、次の話を早く作りたかったので、ちょいとばかり省略しました。もうしばらく、この話におつきあい下さいませ。

2011/10/17

ふと思った様な、以前から思っていた様な事


東方Projectに限らず、多様な同人活動が活発な状況について思ったことがあります。

これは和歌や俳句の精神ではなかろうか?

和歌や俳句はそれぞれにルールがあります。五・七・五(・七・七)のリズムの縛り、そして季語を入れなければ行けないという縛りなど。和歌には本歌取りとよばれるシステムもありますし、枕詞のように継ぐ言葉を指定する「お約束」もあります。連歌のように歌を重ね合わせていく遊びもありますよね。

このようないろいろな縛りやお約束の中で遊ぶというのは、同人活動にも当てはまっているのではないでしょうか?同人というのはまさに「本歌」があっての活動ですし(さらに同人を本歌扱いにしたものもありますよね、多様な二次設定とか・・・)、原作の人物は季語の様に必ず入っていますし、各キャラクターにはお約束のネタがあったり(ニコニコでは「いつも通りと形容される」精神ですよね)、和歌や俳句にある精神というのは同人活動にも適用できるのではないでしょうか。ただ、字数縛りはないですから、あんまり和歌や俳句と同一視しないのかもしれません。掛詞も字数制限の無い同人にはあまり利用されないルールと言うか技巧ですか。

日本人は、いくつかの縛りの中でいろんなアイディアを出しながらみんな(といってもその遊びを知っている人だけですが)で楽しめる遊びが好きなのかもしれません。あるいは本歌取りとか枕詞のような、分かる人にしか分からない深化する遊びが好きなのかもしれません。



ただいまThe last incident 第2話を作成中です。もう暫くお待ちください。

2011/10/10

一周年

 もうすぐ一周年ですね、という会話を以前twitter上でしまして、「あぁそんなに経つのか」と思いながら、昔の動画を見直し、その投稿日をみるとちょうど今日でした。・・・ということで、今日一日かけて無駄をしていました。無駄の結果がこちら。

 たくさんのキャラクターがいるのですね。ざっくりと書いたので、丁寧さには欠けます。作成途中で中途半端な物を作るぐらいなら、さっさと次の話を描いた方がよっぽど時間の有効利用だと思ったのですが、途中で投げ出すのも癪だったので、なんとか完成させました。・・・うん、あんまり後ろ向きというか言い訳をしながら作る癖を直したいですね。



 と、人間的には大した成長のない一年でしたが、動画の方は、すこしは成長したかもしれません。多少、そのようなコメントも貰うことが出来ました。ここでこの一年を振り返ってみると、投稿数は41件、時間にして、およそ4時間40分。計算してみるとずいぶんと長いですね。これだけ投稿しましたが、まだ描いていないキャラクターも多いし、まだまだ描きたい情景はあります。それに新しいキャラクターも最近仲間入りしましたしね。

 ここで次の一年の目標を掲げてみようと思います。
  • 月一できれば隔週ぐらいで投稿する
 これだけ?、と言われてしまいそうですが、目標はこれだけです。結局、動画作者として求められるのは動画を作ることだと思います。駄作を作らない様にする、より良い動画を作る、というのは大切ですけど、それは前提条件であって、あえて二年目の目標にするようなことでは無いと思いました。

 これまでもたくさんの方に支えられてきました。もし、だれも見てくれなければ早々に動画を作ることをやめていたかもしれません。この一年、およそ週一から隔週ぐらいで投稿できたのも、ひとえに多くの方に再生され、コメントされ、マイリストされ、宣伝されたからです。


これからも李花尺をよろしくお願いいたします。

2011/10/07

The last incident 【後書き】

さて、新シリーズを始めました。3部+αの中編をこれから作っていこうと思っています。作品が始まったばかりなので、後書きが書きにくいのですが、少しばかり。


今回、始めて、東方原曲をBGMとして使ってみました。これまでも使いどころが無かった訳ではないのでしょうが、手元にある音楽で事足りたので、ついぞ使っていませんでした。今回、ちょっと原作をなぞるような動きになるので、原曲を使ってみました。

そこで、http://takeda.is-mine.net/様からMIDI音源を勝手ながらお借りしました。
ありがとうございます。

弾幕というものを描いてみたのですが、う〜ん、非常に難しい且つ面倒くさい。スピード感を出そうと思えば、漫画的な表現—集中線やカットイン、極端な遠近感や魚眼効果—を駆使すればよいのでしょうが、私はその技術を持ち合わせていませんし、別に弾幕を描きたい訳でもないので、中途半端な表現にとどめました。v.s. チルノに至ってはまともに描写していません。この作品を作るにあたって、躍動感のある描写を修得したいなぁというもくろみは持っていたのですが、早くも挫折しました(いや、努力はしますけどね)。

さて、会話ですが、「紅魔郷」の会話をベースに組み立てていたりします(未プレイなので、横着ですが会話まとめサイトなどを参考にしました)。ルーミアの良薬じゃなくなったら〜というのは原作で霊夢がルーミアに言い放った台詞ありきの会話です。そう言った意味では今回の作品はかなり原作依存度が高いかもしれません。

おそらく、一番意味不明なのは大妖精の台詞でしょう。いったいなにが「いいんです」なのでしょうか。基本的にどういう解釈をして頂いてもいいのですがあえて補足するならば、
「チルノちゃんは決して霊夢に勝てないけれど、それでも楽しそうに弾幕を挑んでいるのだから、負けたっていいんです」
ということでしょうか。実際の会話ではなかなかそういうしっかりとした背景があって発言するのではなくて、もやもやとした複雑な感情を処理するために、とりあえず口を開く、ということもありますけどね。


ただいま、この3.5部作(要する所、数としては4部作)を「ととも」シリーズに組み込むか、別シリーズとしてマイリストを作るか、悩んでいる所です。分けた方がいいような気もしますし、分ける必要も無いような気もします。

2011/10/02

冥界の秋 【後書き】

彼岸花が咲き誇っているのを見て、衝動的に作りたくなった作品です。


以前、ツイッター上で白玉楼の二人をいつか題材にとりたいなぁとつぶやいたところ、秋という夏の生命感が衰えていく季節は「死」を操る幽々子と相性が良いのではないか、というアドバイスというか、コメントを頂いて、なるほど、秋と白玉楼も良いなぁと思っていたのです。そして先日、彼岸花が咲き誇っているのを見て、「彼岸」という名前から連想される寂しさ、死者との関連性から、ふと、「あぁ、これは白玉楼に似合うな」と思い、ほぼ衝動的に作った次第です。

あとは、そうですね・・・魂というのがどのような形をしているか、私には分かりませんが、およそ白く、そしてその大きさがおよそ生物の大きさというか、精神性の高さによると考えます。虫たちに宿る魂はそれ相応に小さいとすると、秋、ぐっと冷え込んだ朝、川面に立つ霧は、虫たちがその命を終えて消えていくのにふさわしいのではないかなぁと思ったので、それを少し幽々子様にしゃべって頂きました。

死者は静かである、これは私事ですが、私のじいちゃんをおくったとき、やはり死者は静かなのです、あるだけ。大江健三郎の死者の奢りでは「ものである」と表現されていたように思います。ともかく、死者は静かな印象が強いのです。だから冥界は静かなのではないかと勝手に思っています。もちろん、冥界には「死者」として「物」になったものが行くわけではなく、魂がいっているわけで、静かとは限らないかもしれませんね。


衝動的に作ったので、非常に短い作品になっています。次はこれまでとちょっと趣向を変えた作品を考えています。楽しみにして頂けたらこれ幸い。