2011/07/25

ニコニコ大百科に李花尺のページが出来ました記念

素敵な「李花尺」のニコニコ大百科の記事が出来ました。クズマさん、ありがとうございます。

 このブログの投稿日(2011/07/25)の夕方に私は自身に関する記事が出来ている事を知ったのですが、この日をさかのぼる事、24時間前、記事作成者であるクズマ氏から「ニコニコ大百科に李さんの記事を作成してかまいませんか」、という質問をtwitter上でうけました。もちろん、快諾させてもらったのですが、まさか、次の日には出来ているとは思ってもいませんでした。
 私はHTMLの編集はほとんど触った事が無いので、大百科の記事作成がどれほど大変なのかは分かりません。ただ、大百科の性質上、ページを0から組む訳ではないでしょうが、それでもページの構成を練ったり、文章を考えたり、リンクをはったりで、片手までほいほいと出来るとは思えません。ですから、8月中には自分のページが出来るのかなぁ、とぼんやり思っていたのです。ですが、次の日にはものすごく素敵な記事が完成していて、うれしさと驚きでいっぱいです。さきほど、クズマさんから、前もって作っていた部分があることを聞きましたが、それにしても驚きでした。
 昨夜は記事が作ってもらえると聞いて、うれしさのあまり気持ち悪い顔にならない様必死にこらえて、ニコニコ大百科に記事がある作者として精進せねばならないなぁと思うよう努力していたのです。それが次の日には出来上がってしまったのです。このような驚きはここ数年無かった事の様に思います。非常に良い意味で予想を裏切られました。

 とともシリーズやこれまでの3つの長編の説明文は秀逸で、なんだかこの記事を読んだら、自分の作品ですが、動画を見たくなりますね。作品の見所が述べられていますが、それは私が作品の中で描きたくて、そして半ば挫折した部分でもあります。ですから、見てほしいポイントではあるものの、見てほしくないポイントでもあるように思います。でも、みてください、そして脳内補完のほど、よろしくお願いします。



 「とともシリーズ」14作目である「霊夢、夢の後」が東方デイリーランキング8位と自己最高を記録したり、ウォッチリストに私を加えてくれる人がここ2日ぐらいで40人以上増えたり、なにやら驚きが続きます。「霊夢、夢の後」のマイリストも400に達しました。記事を書いてもられたのはうれしいですし、ランキングが一桁に届いたのもうれしいです。が、技量はまだまだないと感じます。これからも精進していくので、どうぞこれからも李花尺をよろしくお願いいたします。

2011/07/24

後書き 【霊夢、夢の後】

 さて、今回は異色の設定を持ち込みました。霊夢が博麗の巫女をやめた後の話です。

 東方二次創作において、霊夢が巫女をやめるときは「死」の影が見え隠れするものです。しかし、巫女を穏当に卒業することも可能ではないでしょうか。それを描いたつもりです。


 本作では、博霊の巫女を引退した後、山裾の人寂しい場所に隠居しているところに魔理沙が尋ねてくるところを描いています。引退して2年たっていますので、状況説明的な会話を極力減らしてみました。以下、物語の途中に出てくるわかりにくい部分を説明していきますが、あくまでも私の解釈というか設定ですので、絶対的なものではありません。

 まず、最初、電線が空に消えていっていますが、あれはスキマ経由で電気が供給されていることを描きたかった。ですから、あの家は紫によって提供され、ある程度、近代的な生活が可能となっています。
 魔理沙が「もう二年か・・・」と述べていますが、これは霊夢の博霊の巫女引退からの年月を示しています。
 物語の後半で、魔理沙がなにやら庭先で「ぼふっ」とやってますが、あれは地面に魔法陣を書いて、家にあるキノコセットを転送しているところです。


ちなみに・・・

この物語では霊夢に焦燥や不安や澱が溜まっている様子は描かれていません。が、私はこの後、霊夢が「生」をどう全うしていくのか、気になって仕方がありません。ただ、それは苦しくて描くことが出来なさそうです。




追記:
夏に対して思うことは、なにか寂しいという感情です。それは夏は「楽しいもの」であるべきだという脅迫から来るのか、虚無感から来るのか・・・よくわかりません。ただ、そんな感情が今回の作品の源流のひとつではあると思います。

2011/07/16

後書き 「霧の大河 最終話」

 さて、「霧の大河」終わりました。レティが冷たく孤独な妖怪から、おだやかな妖怪へとどう変わっていったかを描けたら・・・という願いの半分でも達成できたでしょうか。


 言葉は人に思いを伝えることのできる大変に便利な道具ですが、使い勝手は必ずしも良いとは限りません。作中でももっと立て板に水のような弁舌をふるわせたならば、もう少し、レティの心の機微を伝えることが出来たかもしれません。が、あえて、うまく言葉にならない部分は、そのままにしておきました。ですから、言葉足らずの所は是非、皆様で補完してあげてください。


 そうそう、椛がえらく薄着になっているのは、暑すぎで脱いじゃったせいです。椛は普段から脱ぐような性格の持ち主ではないですが、どうやら暑さで参ってしまったようです。狼とか犬とかは、たしか舌でしか放熱できなかったような・・・気がするので、きっと椛も夏は大変なんだろうと勝手に設定しました。で、文はいたく困ってしまって、チルノに氷を作ってもらうことを思いついたのでした。
 文がチルノに渡した手帳(というかノート)は新聞のロゴとか広告入りです。


これくらいですかね、設定とよべるものは。



 さて、これで一段落。また「ととも」シリーズで短編を上げていきたいと思います。そして、そろそろ初期作品を下敷きにした中編〜長編を考えていきたいと思っていますが、思っているだけで、どうなるかはまだ分かりません。

2011/07/15

昨夜は月が綺麗でした。晴れ渡った空に満月が浮かび、黄金色に輝く月とぼんやりと紺色になった空。暫く眺めてたら飛行機がすぎていきました。

ふらふらと川辺に出てみればやっぱり月が川面に浮かんでいました。蒸し暑くはありましたが、不思議と気分は良かったのです。

で、思った事があります。いや、以前から思っていた事なのですが・・・
平塚らいてふという女性運動家の言葉に

「原始、女性は太陽であった。今は月である」

というような発言があります。高校の頃に耳に始めて知ったのですが、その当時からなにかこう、もやもやとした感じがあったのです。平塚女史の「月」とは他の光によって光る、自らが光り輝く事の出来ない存在を意味するのであって、月が太陽に劣るとか、そういう話ではない事は承知です。そして女性が他者の光を借りずとも、太陽の様に自ら光り輝く存在である事は私も承知なのです。が、どうも、こう・・・女性は月であるほうが、こう・・・魅力的だな・・・と今、思うのです。太陽は直視する事は出来ませんが、月は見ることができる。そしてそれは弱々しくはなく、闇夜を照らす暖かい光だと思うのです。昨夜の満月もアスファルトをぼんやりと照らし、私の影を作っていました。それは原始、闇の恐怖から人々を救ってきた光だと思うと、どうも、こう、優しい存在に思えてならないのです。雲に隠れておぼろな月、冴え渡る満月、妖しい三日月、そんな多彩な表情を見せる月こそ、女性にふさわしい・・・と思うのは私だけでしょうか。

そういう美しく、優しげな性質を女性に求める事が愚かな決めつけだと言われれば、しょんぼりするしか仕様がありませんね。

きっと、高校の頃から月を女性的に見ていた私にとって、平塚女史の言葉はそこだけを抽出するとどうもしっくりとこないものだったのです。そして、今もそうです。


月に何を思おうと、月は知った事ではないでしょうが、何かを思うのは大切だと思うのでした。今日も月は綺麗です。

2011/07/10

レティ・ホワイトロック

落書きです・・・

線で陰を入れるスタイルも好きです。特にシチュエーションはありません。

2011/07/04

無題

二柱を描いてみた。いい感じに祟ってくれそうに描けたので残してみる。

2011/07/03

次の話

さてさて、「霧の大河」の終わりが見えてきました。で、次のことを考えているのですが、それについて少しばかり考えを述べたいと思います。ネタバレ・・・はありませんが、予告とかそういうのがいやな方は見ないでください。


思い出した

思い出した。以前、動画のコメントで、15fpsにして欲しいという要望があって、前回から15fpsでmp4に書き出しているのですが、問題ないでしょうか?

霧の大河 第四話 【後書き】

さて、第四話、お待たせしました。

今回は、はしょった会話があります。と、いうことですこしばかり設定の話をしたいと思います。

最後のほうで、チルノが、
「外にいたらつらいって言ってたじゃない!」
と言っています。これは
「冬の終わりが近くなると、寒気が減って、日の当たるところにいるのはつらいのよ」
「とけてしまいそうだから」
とあまり家から出なくなったレティのところに遊びに来たチルノに弁解していた会話がベースになっています。そんな会話は作中に出ていませんが。まぁ、なんとなく分かってもらえるかなぁと思って省略しました。

しかし、霧の大河の1、2話では春先に普通に日の当たる外を歩いているレティがいます。これは寒気がそれなりに残っていること、そして第4話では寒気を雪だるまの維持につかっているので、余計にだるいということが関係しているのでした。

次で最終回の予定です。もうしばらく、おつきあい下さいませ。