2010/10/28

朱と蒼 【後書き】

完結しました。

下敷きとしてジーキル博士とハイド氏がありますが、その結末は大きく違いました。ジーキル博士とハイド氏をご存知の方は、これが下敷きになっていることから、行く末を考えてくれたかもしれませんし、そうでないかもしれません。個人的に、これまでもこれからも下敷きにしたものや、元ネタというものを積極的に公開していこうと思っています。そうすれば、次の展開が読めそうで面白いじゃないですか。作り手としては、元ネタと流れから今後の展開を予想してもらって、それが外れたり、あたったりしたりすることを楽しんでもらえたらなぁと考えています。どのような作品でも、展開があって、それを予想することになると思うのですが、直前の流れだけではなくて、もっと全体の流れを考える上で、元ネタを利用してくれたら、作り手としてはありがたいと思っています。あと、元ネタをぜひ、知ってもらいたいなぁというのもありますが、別に私はマニアックな嗜好をもっていない(つもり)なので、それほどマイナーな作品をもととすることはないと思います。これまでも非常にメジャーな小説と、和歌をもとにしていますし。ご存知の方も多いでしょう。ですから、知ってもらいたいというのは失礼かもしれません。ちなみに、今回、エイリンが薬を調合する際のシーンは、ジーキル博士とハイド氏が薬を調合するシーンをまねています(一部、違いますが)。

コメントは頻繁にチェックする様に心がけています。これまで、字おくりが早いという指摘があったので、ゆっくり目にはしているつもりですし、ぽつぽつと情報を集めて、解釈して質の部分も改善しているつもりです。朱と蒼3作目は多分、これまでよりも画質が改善されている、はずです。と、技術的な部分はこれからも精進するとして、内容に関するコメントに対するコメントをば。

二重人格というコメントがちらほらありましたが、個人的には、個の中に内在する葛藤や矛盾を表現にするために、目の色の違うエイリンを登場させました。目の色が朱いエイリンが全体的に薄かったり、濃かったりするのは、その意志の強さを表している、、、つもりです。二重人格と言われると、確かにそうとも解釈することができるので、そういうのもありだなぁと思いました。後、「できてしまった」を子供ととらえているコメントは面白い、それは考えてなかった。確かに、あのシーンだけとりだしたら、それもありですね。

以下、駄文

私は別に教養がある訳ではありません、欲しいですが。和歌も教科書に載っていたから知っているのであって、他に知っている和歌を挙げろと言われても、あとは片手で数えるぐらいしか知らないし、記憶が怪しいので(前にも書きましたが)、教科書やらを引っ張りだしてきて、確認をとっている情けなさです。別にお固い人間ではない(文章はどうしても固くなりがちなのです。。。)。カリスマブレイクとか、そういったことはこれからも多分、それほど作中で扱うことはないと思いますが、そういった作品を見るのは好きです。超級者向けとかの動画も見ますよ。人類には早すぎた動画とか。けっして嫌いな訳ではないです。ただ、そういった作品が多いから、なにか、ちがうニッチを追求しようかな、と思っているだけです。

最後、あとがきとは関係ないことを書いて、長くなりましたが、これで終わりにします。期待してくれる方のおかげで、ずいぶんと早いペースで投稿しましたが、次の話まではさすがに開くと思います。話が練れてないので。。。では、また。

2010/10/24

朱と蒼 1+2 【後書き】

個人的に、何かを考えないでいることのできる時間というのは、寝ているときか、思いっきり運動しているときぐらいで、そのほかの時は何かしら考え事をしており、それは支離滅裂であったり、その時、考えなくてもよいことであったりします。そういったことがある反面、周りの人間を眺めていると、ものすごく幸せそうに、暇を暇として謳歌している人間もいるわけです、あんまりいないですが。ともかくも、ぼんやりしているときに何を考えているかを聞くと、「何も考えてなかった」と答える(もっとも、みんな考えていることをすぐに、うまく、人に伝えることは難しいですし、恥ずかしくもありますが)。

ということで、常に何かを考え続けることを宿命づけられた人と、そうではない人がいて、本作では、前者を永琳に、後者を輝夜にやってもらいました。永琳は月の頭脳と言うことで、常に何かを考えていた、少なくとも、月から逃げているときは、それについて、対応や、作戦などを考えることは、必要であり、そしてやりがいのあることだったでしょう。その必要が一応、なくなった後(永夜抄の後)という設定です。永遠亭が診療所を開いているのは、永遠亭が便利で、誰にとっても有益な存在となることで、敵視されないため、ひいては輝夜を敵視するものを作らない、あるいは、敵が永遠亭を攻撃することを躊躇わせるためだと思います。これは妄想ですが。

で、今回、まだ輝夜の登場が少ないですが、最終回では大事な役割を担って貰うつもりです。彼女は、自然と同化した人間(?)で、世界を愛すること(永琳は世界を理解すること)を生き甲斐としているという妄想に基づいています。だって、そうでないと、頭のさえている永琳が、輝夜を守りたいと思う要素がないでしょう?まったく違うタイプだからこそ、尊敬し、そしてあこがれるのだと思います。だから、輝夜は必ずしも永琳と同じように賢くはない。と、妄想します。


土曜、日曜と連続で投稿しましたが、次はしばらく間があきます。

2010/10/16

月が美しい夜に【後書き】

奈良時代の政治家、阿倍仲麻呂作、

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも

阿倍仲麻呂は唐へと渡り、政治を学んだ後、日本に帰ろうとするも、たどり着けず、大陸で一生を過ごした人です。今でこそ、中国に限らず、世界中どこへ行くにも難破や遭難はめったにないでしょうが、昔は命がけだったんですね。だから、この歌を詠んだときの阿倍仲麻呂の思いというのは、今の感覚では理解できないのかもしれません。

歌の意味としては、「今、眺めている月は日本に出ている月と同じだ」ということなのでしょう。が、個人的な妄想として、同じではないと思うわけです。月を見て複雑な感情がわき上がってくるのか、美しいと感じるのか、はたまた、たこ焼きに見えるのか、それはわかりません、が、今眺めている月は人によって違う風に見えていることは間違いないと思いませんか?

今回は、ある夜、美しい月に対する妖怪達の反応の違いを描くことで、そういった月に対する複雑な思いを託してみました。

2010/10/13

白菊の花【後書き】

幻想的な雰囲気を醸し出している凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)作:

心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

実は、この歌は以前から知っていたのですが、作者は知りませんでした。なんだか、小野小町のような印象があったのですが、気のせいですね。たしか、古典の辞典に子規によって批判的に評価されていた記憶もあるのですが、これは間違いではなかったようです。と、いろいろ間違いを含むにせよ、印象深い歌であったので、記憶には残っています。そして、これを下敷きに話を作ってみました、と、いうか話はなんのひねりもないわけですが。子規が指摘しているように、非常に幻想的な雰囲気を持つ歌であり、写実性に欠けますが、そういったことを想像できる作者に脱帽です。後は、初霜はさすがに日が上れば消えてしまうだろうなとか、小さな想像力をつかって、話を作りました。

さすがに画力がない以前の問題で想像力が欠けるために、白菊に初霜が降りて、白い世界が広がる様子をうまく描写できませんでした。うーん、白菊に初霜がおりているシーンだけ白黒にするというアイディアはあったのですが、うまくかけずに挫折しています。イメージとしては水墨画の幽玄の世界(長谷川等伯の松林屏風図とか)、ぼんやりと浮かび上がる世界かな。


前作とほぼ同時進行で作っていたために、連続投稿のような形をとりました。次からは一から起こしていく予定ですので、すこし間が開きます。

2010/10/10

秋の訪れ【後書き】

あとがき

秋に限らず、季節の変わり目をどういう風にとらえるかについて、一番好きなのが藤原敏行の

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

という歌です、個人的に。さらに個人的なことを言えば、季節の移り変わりにあわせて、私の鼻は過敏に反応して鼻水を放出してくれます、いらないですが。2010年は彼岸の季節に寒冷前線が南下して、日本各地で急激に気温が下がりました。それまでは連日30℃をこえる夏日が続いていましたが、急に10℃近く気温が下がり、体調を崩された方も多いと思います。

藤原敏行のこの歌は高校のときに習われた方も多いと思います。「来ぬ」をどう発音するかで意味が異なりますので、「こ」と読むと「まだ」の意味になります、なつかしい。カ行変格活用だったっけ、そんなのはどうでもいいのですが、要は敏行は秋がきたことを改めて、感じている訳でしょう、きっと。今回の作品では、カナコ様が秋を伝えようと秋風を起こす訳ですが、彼女自身にも、日差しの弱さに気づいてもらいました。画力の決定的な不足により、夏の日差しと、秋の日差しをかき分けることはできませんが、本当はそれが描きたかった。夏の日差しによってできる木陰の陰影の輪郭の鋭さは秋になると失われて、優しい、濃淡の曖昧な線になりますよね。あれです。


残念なことに藤原敏行の様に風の音で秋を感じるほど文化人ではないですが、そんな風流な人がいたこと、その感覚を養いたいし、そういった風情があることを知っていただけたらと思い、初投稿のあとがきとします。

きっと後(一年後とか)で見直したら赤面するんだろうなぁ。