2010/12/28

動画注 

東方ゾンビ禍の素朴な疑問にちょっと答えていこうと思います。

描ききれてない部分、描いていない部分はどういう背景を想定していたのか、ちょっと記述します


「第1話で鋤や鍬をもった隣村の人が多いのは何故?」


2010/12/27

お知らせ

東方ゾンビ禍シリーズの作成は年末の慌ただしさがやって参りましたので、滞っております。つきましては、年内に新作を投入することはできません。2011年1月の一桁日には投稿できると思いますので、それまで、気長にお待ちください。年が明けましても、2月いっぱいは忙しいので、ちょっと、これまでのペース(毎週)で投稿することはかなわないと思います。でも、年末の休みを利用してなんとか、東方ゾンビ禍は年度中に終わらせたいな、と考えています。

以上、連絡というか、報告でした。

以下、徒然なるままに

ウォッチリストに登録してくださった人が100人を超えました、やったね。そしてゾンビ禍の0話のマイリスト数も100を超えました、やったね。そう考えると、ウォッチリストに小生を加えてくださった人は、たいてい、ゾンビ禍を見てくださっているという風に考えられるのでしょうか。でも、とともシリーズへの波及効果はあまりないようです、しょんぼり。そういえば、しばらくの間、ゾンビ禍の1話がもっともマイリストが多かったのですが、しばらくして微減しました。それをみてへこんでいたのですが、よく見ると、0話のマイリストが微増しています(現段階では0話のマイリストが一番多くなっていますね)。と、いうことは、最初、1話がスタートだと思われた方がいて、よく見ると、0話があるということで、マイリストを動かされたのだと解釈しました。要するに、普通は1話から物語が始まるのに、0話というイレギュラーなことをしたのが悪かったのですね、多分。申し訳ありません。マイリストに登録できる数は決まっておりますから、シリーズ物であれば、最初の話だけを登録するというのはもっともなことです。次は、普通に一話から物語を始めます・・・。

2010/12/24

タグ

面白いタグがついてました。

「東方ゾンビ鍋」

だれが編集したかは存じませんが、○○鍋というのはやっぱりツボなのでしょうか。私は猫鍋がはやったというか、そんなのが人気があるというのをおぼろげながら感じた程度で、ほかにどのような鍋のネタがあるのか、知りません。で、ちょっとこのゾンビ鍋なるものを想像するに、かなりMADな感じがしますね。なにやら黒魔術の世界で、ゾンビを煮立てて、その成分を抽出することで、さらに強力な作用を持ったゾンビを作る・・・とか。ゾンビの阿鼻叫喚の鍋、う〜ん、ちょっといやですね。いや、痛みとかを感じないゾンビだから、鍋で煮立っているのに、不敵に笑っているというのも不気味ですね。そんな場面を描いてみたい・・・こともないですね。

あと、「なぜ評価されない」のタグもついてましたね。

ものすごく個人的な感覚で申し訳ないのですが、このタグ、すこし攻撃的なニュアンスがありませんか?ちょっと、怖いですね。「落ち着いてくださいよ、評価されないのは投稿する側の問題ですから・・・他の視聴者を攻めるような言い方をしなくてもいいじゃないですか」、と思うのは私だけでしょうか?もちろん、そういった評価は評価ですので、こう思ってくださる方は、これからもこのタグをつけてくださいね。そうすれば、作り手としてこのタグが必要ないくらい、すばらしい動画を作るよう努力する、かもしれません。

これまでに、「もっと評価されるべき」「もっともっと評価されるべき」「そっと評価されるべき」のタグがついているのを見ました。いやいや、「○○評価されるべき」系のタグがたくさんついたうp主になりましたね。応援してくださる人がいるのは心強いですが、逆に、今一歩何かが足りないがために、伸び悩んでいるのでしょう、なんだろう。パンチ力ですかね。例えば、独創的な二次設定、圧倒的な画力、などなどが足りないがために、今一歩なのでしょうか。

と、すこしタグについての感想を述べました。

とともシリーズですが、今度は夢、運命についてちょっと書きたいけど、テーマがすこしでかすぎるので、話としてまとめるのに苦労するかもしれません。あとは、宮沢賢治を題材にして書きたい。



12月27日追記

両方のタグがいつの間にやら消えてますね。いらないと思う方は消してくださって結構ですが、つけた方は何か思うところがあってのことでしょうし、まったく関係のないタグでなければ、基本的にそのままにしておいてくださるとうれしいです。鍋のタグ、けっこう、面白いと思うのですが・・・どうでしょう?

2010/12/23

そういえば

後書きに書き忘れました・・・


幽香の花畑にゾンビがやって来るシーンがありました。あれ、実は、夕方の予定だったんです。夕焼けにそぞろうつろな瞳をしてゾンビの行列、夕焼けに照らされて色濃く影が伸び、そぞろ歩くゾンビ達、そして、夕焼けに燃える幽香の瞳とゾンビに一瞥をくれてのマスタースパーク・・・消し去られた行列の向こうには村が・・・

と、いうシーンが書きたかったんですよ。時間軸を考えると、ちょっと、無理があるな、と思ったので、夜になっちゃいましたし、ゾンビが出てくるのも山際で、ちょっと、最初に頭の中で描いていたシーンとは違いました。


たぶん、こっちの方が迫力があって、物淋しさも出たと思うんですが、、、もっとも、描ききれないのが落ちかもしれません。


ちょっと、作中で省略した会話を載せてみます

幽:善処するわ・・・(作中の会話シーンの最後)
の後に以下のくだりがありました

霊:おねがいするわ、行きましょ、魔理沙・・・
魔:きにいらねぇ・・・
霊:ちょっと・・・!
幽:どういうことかしら?
魔:善処ってのは何を意味するんだぜ?
幽:状況による、と言うことよ
魔:例えば?
幽:誰か他にいたら、神社に知らせにいってもらう、とか
霊:・・・! じゃあ、今日と同じ状況だったら?
幽:当然、さっきと同じね
魔:そうだろ!
幽:あなた達、ゾンビを人だと思ってるの?
霊&魔:?どういうこと
幽:あれらは、もはや人ではないのよ、ま、そのうち見る機会があるでしょうから、見てみるといいわ
話は終わりよ
魔:ちょ・・・お前がよくても私がよくないぜ!
幽:スペルカードなんてものがない時代から妖怪をやっているの、言いたいことぐらい分かるでしょ?
霊:わかったわ、じゃあね

てな、会話が予定されてました。冗長ですね。

東方ゾンビ禍 4話 【後書き】

さて、4話まで進みました。

物語としてはこれで前半が終了して、5話から後半、いよいよ物語も佳境に入っていく予定です。

4話は、どこまで霊夢達がしゃべるか、かなり迷いました。特に、霊夢&魔理沙vs幽香のやりとりは当初、もっと長かったのですが、だいぶ削りました。と、いうのも、あんまり言い合いを幽香が好まないだろうな、というのもあったし、あまり頭に血が上ったまま会話を続けるよりかは、てっとりばやく「手」がでそうな面々だったので、矛をわりあい素直に納めて貰いました。別に幽香と言い合いから喧嘩(?)に発展する必要はありませんからね。そして、彼女らも、そこまで吹き飛ばされた村に愛着がったわけはないでしょうから。ちなみに、今回の村もかなり里から離れた村という設定です。だって、近くに花の妖怪の畑があるぐらいですから、人間社会の縁辺部ということでしょう。魔法の森の近くの村というのも当然、縁辺部に属します。それは、結構、大事なポイントです。

ちなみに、幽香の
「あなたが人を大切に思う気持ちと、私が花を大切にする気持ちの何が違うのかしら」


このせりふが言いたかった回でもあります。
結局、この理屈もかなり、いい加減なものですし、よく考えたら矛盾だらけというか、何の解決にもならないことなのですが、妖怪と人間の間には決定的な違いがあるという私の妄想のもとでは、結構重要な発言だと思うのです。


今回のゾンビ異変で、陰の人物が物語の終わりに飛び回っている描写をしていますが、


(ちなみに、別に焦げた文じゃないよ・・・orz。コナンスタイルなんです。誰かはまだ、分からないと言うことなのですが、やっぱり、その影の形で分かるんですかね?)


霊夢と魔理沙の先手を取って妖怪達の間で情報のやりとりがある。そして、その情報はとくに霊夢&魔理沙と共有されるわけではない。これは、妖怪達は決して意地悪をしているわけではないと思います。だって、人間社会と妖怪は別につながりがあるわけではない。霊夢の人間社会でのやりとりが妖怪達と霊夢の間で交わされることがないように、妖怪達の間のやりとりが別に霊夢との会話の中で出てくる必要はないのではないでしょうか。霊夢(魔理沙も、ですが)はあくまでも、「人間」であって、「妖怪」の社会のメンバーではないですからね。霊夢の側もそれを分かっていて、アリスをまだ疑っているような口ぶりを見せたり、基本的に妖怪側に犯人が居ると思って取り組んでいるわけです。




コメントでは、いろんな意見を頂きました。原因についてのコメントはうれしい限りです。あぁ、この物語を楽しんで貰っているというか、考えてくれているのかなぁとこちらで妄想しています。

2010/12/21

思い出した

そういえば、タグロックはしないとかこのブログで述べてましたが、ゾンビ1話でタグロックしてますね。ま、これは特例ということで許してください。これは、名前を間違えるという恥ずかしいことをしでかした戒めですので、別にこのタグが気に入ったとか、ついてほしいという願望があった訳ではないです。もちろん、これまでにこのタグが欲しいからつけたとか、このタグは気に入らないから消したということはしておりません。ちなみに、投稿者のニックネームも変えたのですが、これも、パチュリーの名前を間違えたことにちなんでしばらく変えることにしました。このシリーズが終わったら、元に戻す予定です。

2011/01/25追記

動画説明欄を更新した際にタグロックを外しました。もう十分に戒められました。ここ最近は間違えてないので許してくだされ。

2010/12/20

ゾンビ物語へのコメント

どうも。

3話まで進んだゾンビ禍ですが、いろいろコメントを頂き、ありがとうございます。やっぱり、内容に関してコメントをもらえるとうれしいですね。後、最後まで話を作っておいてから制作に取りかかって正解だったと思いました。けっこう、どっきりさせられるコメントがありましたから。すでに話が出来上がっているので、そんなコメントも「やるな」とか、「すごいな」とか(上から目線で申し訳ないですが)思えますが、もし、これから作っていこうとしていたら、嫉妬でぱるしぃことになっていたでしょう。もちろん、1−3話はコメントの指摘を取り入れる努力をしています。これからもなるべく取り入れたいと思います。

皆さん、ゾンビにまつわる知識を豊富にお持ちでびっくりしました。私のゾンビの知識はゲームのバイオハザード(あれ、怖かったなぁ)が基本です。それ以上はそれほどたくさんの情報を持っている訳ではありません。魔術によってゾンビが作れるというのは、映画からの知識ですし、病気関係のゾンビは、それこそ出典はありません。なんだろう、テレビかもしれないし、映画かもしれません。ですので、コメントでの風土病に関する考察なんかはずいぶんと恐縮でした。

以上、コメントでした。


以下、駄文。

投稿ペースを心配してくださるコメントをいくつか拝見しました。一応、大丈夫です。動画のネタの質がどこまで維持できるか分かりませんが、まだ、ネタは尽きておりませんので。動画の質(絵のうまさとか、BGMとか、間の使い方とかを含めての総合力)はおそらく、動画を投稿すれば、上昇していくものだと思います。少なくとも、初投稿の作品よりはましになっていると思うし、以前、そのようなコメントも頂きました。ページ送りが早いという指摘も最近はなくなりましたね。ただ、動画のネタは、やりたいものから順番に消費していますので、やはり今、残っているネタよりも、既に投稿したネタの方がお気に入りで、新鮮というか、面白いと思うのです。もちろん、ネタに対して一つの切り口しかない訳ではないので、まだまだ動画は作れますし、作っていこうと考えています。ただ、和歌を基調とした動画はあまり切り口がある訳ではないので、もしもう一度同じ和歌で話を作るとしたらどうしてもリメイクみたいになると思います。そのうち、リメイクを作ると思います、多分。

2010/12/19

東方ゾンビ禍 【後書き】

さて、第2話、3話が投入されました。

会話が主なので、描くのは楽です。でも、動きがないので、2話では小悪魔さんに活躍してもらいました。彼女の動きに特に意味はないです。普通の動きを切り取るというのも結構難しいものです。やめときゃよかった。

2話、3話はそれぞれ、パチェ、永琳のところに話を聞きにいくことで費やしています。基本的には霊夢も魔理沙も疑ってかかってますが、魔理沙はより「正直」に疑ってかかってますが、霊夢は微妙にそれを隠している様に見えますが、案外、自分の知っている妖怪の仕業ではないことを疑っていると思います。なにより、自分たちは今、何の情報も持っていない訳ですから。魔理沙はアリスのいったことをともかくも信じて、それを起点に物事を考えているところが、霊夢との違いではないでしょうか?

あと、なにやら「禍」という字が「鍋」に見えたそうですが、その発想はなかったですね。ちょっとゾンビ鍋を想像すると気持ち悪いですが、なにやら使えそうなネタでもあります。サムネの為に一番最後にとりあえず、本編とは特に関係あったり、なかったりする絵を載せることにしたのですが、なにやら変なものが出来上がったので、使う訳にもいかず、でもちょっとわれながら馬鹿だと思いながら、ここに載せることにしました。これは、酷い。
なにか、変なキノコを食べてしまたような設定で、らめらめした別人になってしまった図

2010/12/15

コメント

ゾンビ事件はこれまでの作品に比べてなにやら再生数が多くてにやにやしています。

で、うれしそうにコメントを見ていたら、致命的なミスを指摘されました。

Yes、パチュリー No、パチェリー

やってしまいました。しかも、「こいし、ことり」事件と違って、指摘されるまで、真剣にパチェリーだと思い込んでいたので、たちが悪いですね。いや、私、個人的なことですが、カタカナ苦手なんですよ。

ハプスブルク家、ハスプブルク家?
タリバン、タバリン?
ベークライト、ベクーライト?

なんか、恥をかいた記憶があるのはすぐに思い出せるものでこれくらいあります。多分、忘れているとか、まだ露見していないものもあるでしょうから、もっとたくさん、思い違いをしていると思います。もちろん、言い訳にもならなくて、パチュリーファンの皆様、致命的な間違い、ごめんなさい。

とはいえ、パチュリー描くにあたって参考のために、googleイメージ検索を使ってたんですが、そのときはちゃんと表示されてたんですよね。。。で、よく思い出してみると、「ぱちぇ」ぐらいまで打ち込んで、あとはざぁっと出てくるなんて言うんだろう、もしかして検索というか、予測変換みたいな機能を利用してパチュリー・ノーレッジを選んでた(と思われる)。ということで、画面上にはしっかりとパチュリーと表示されているし、これまで見てきた動画でもちゃんとパチュリーという文字を見ているはずなのに、この有様です。いや、これは死ぬまでなおらないんだろうな。

反省します。これから気をつけます。でも、またやらかすと思います。そのときはまた、生暖かい目で見てやってください。穴を探しますので。

2010/12/14

ゾンビ禍;第1話 【後書き】

今作品で、霊夢が出てきたので、それに関する妄想をば。

幻想郷という世界における博麗神社の役割の妄想を説明するために、幻想郷という世界についての妄想をお話しする必要があると思います。と、いっても時代考証というか、そんな大したものではありません。

とりあえず、「こっち」との交流は明治前で停止している。時間軸は「こっち」側と同じだ、ということを踏まえると、とりあえず、幻想郷の社会構造は江戸時代だと考えられる。で、社会的には封建制度を基本としているんだろうな、と考える訳です。一方で、妖怪が普通にいて、ともすれば喰われかねない状況でもある。ということは、社会構造として、一番上にくるのは神社(巫女)だろうと妄想しました。武士さんでもいいんですが(源頼光とか強いよね)、武士さんは登場しないというか、武士さんってある程度固まって住んでるイメージがあって辺鄙なところにはいないんです、私の中で。特に天領なんてところは、藩領と違い、お役所が大きな街にあってそれ以外はほとんどいないという感覚があります。どこで仕入れたかは分かりませんが。ですので、幻想郷には武士さんはほとんどいないというのもありだなぁと思いました。そういうところであれば、自然、農の上に来るのは信(神)だろうと。

ですので、他の作品で見られる「貧乏」な状態はあんまり想像しませんでした。もちろん、自由に使えるお金があるかどうかは別ですが。ということで、霊夢は食べていくのは困らない存在だととらえています。それに、里では一番の実力者と言うか、大事にされる存在であると。だから、彼女の認知度は高いだろうと妄想しましたので、作中では、彼女を村人が認めている訳です。

第1話投稿にそえて、後書きでした。

後、駄文。。。

霊夢&魔理沙ですが、難しいんですよね、扱いが。リアルに10代なので、経験の差がありすぎるんですよ、大人の妖怪に比べて。そもそも、ものすごく個人的なことで恐縮なのですが、「幼い」のはあまりポジティブな要素が私の中でないんですよね、うわぁ。じゃあ、霊夢&魔理沙を大人として描けばいいんですけど、そうすれば、今回の基調である人間と妖怪の差がなくなるというか、差がかけない(別に強いて描かなくてもいいんですけどね)。。。
と、いうことで、霊夢&魔理沙はある程度、「ガキ」として書きたい。そして10代の半ばって中二病の嵐が吹き荒れる時代ですから、そういうものを取り入れるべきなんでしょうけど、また個人の問題で青臭いのが嫌いなので(尤もこれまでの内容も本質的には青臭ものが多いですが)、うまく表現できない。いろいろ個人的な嗜好が重なって、二人をうまく書くことができるかどうか、ものすごく不安です。もちろん、妖怪と人間の10代に明瞭な、というかあからさまな差があるとも思えませんが。

なによりも中学生ぐらいのじゃりん子を二人も出して、その二人の違いを描けるほど、私はじゃりん子に対する理解が深くない。。。冷静と熱血だけでは性格を表現できないのですよ。

2010/12/11

東方ゾンビ禍 【後書き】

後書きですが、プロローグの様なお話をアップしただけなので、内容について、今、しゃべれることはあんまりありません。以下、思いついたことを書き殴るので支離滅裂。


今回のお話ですが、これまでとは違うことがあります。と、いうのは、私的な話ですが、ものすごく、断片的なイメージから物語を造ったので、話をどうまとめるか、という部分でものすごく手間取りました。そのため、すでにブログで愚痴をこぼしています。

それは置いておいて、この物語ですが、基調となるコンセプトは

「人間」と「妖怪」は違う

ということです。これまでの「ととも」シリーズで霊夢や魔理沙が出てこなかったのも(咲夜は出てますが)、彼女らが人間であることが、主な理由です。人間と妖怪では生きている時間軸が違うでしょう。だから、私の中で、妖怪達にとって、人間というのはすぐ死ぬ生き物であって、自分の時間の中でそれほど大きな意味を持たないと妄想するわけです。場合によっては食事の対象でしかないかもしれないわけです。この基本コンセプトは私の中の幻想郷ではかなり基本なので、改めて作品として表現しませんでした。

この、人と妖怪の時間軸の大きさの違い(というか、主人公達の「死」)をあつかったモノに、「いつか来る結末」シリーズがありますよね。これ、結構反則というか、やっぱり、鉄板だと思いますが、そこでおもしろい切り口を見つけるのは至難の業です。この間の紅茶の話はよかったですね。あれくらいじゃないとおもしろくない。と、いうか、テーマ負けしてしまう。ですから「死」を切り口せずに、時間軸の違いというか、価値観の違いというか、温度差があるというか、そういうものを表現するのは難しいと思うのです。


で、ぼんやりと妖怪と人間の違いを表現するなんかいい方法がないかと考えて、

「あ〜ゾンビっていいな(このインスピレーションは謎)、というよりか、人の世界での異変をあつかった作品ってこれまであんまりないような気がする」

という、訳の分からない発想に至ったわけです。
このコンセプトが明瞭に現れるのは第4話になる予定です。

以上、ものすごく読みにくい文章でした。

2010/12/06

ちょいと

さて、ちょっと疲れたので、自分の過去の作品を見直してみました。

おもろしろい(笑)

自分で言うのもなんですが、やっぱり、自分が面白いと思ったことを描いているので、見ていて面白いです。ただ、いろいろ技術的なところに不満があって、やっぱり初期の2作品は見にくい。ページ送りというのか、次にいくのが早いし、字も小さい。絵もなんかもうすこし、努力すればましになるだろうという感じです。要は、一枚に書ける努力量が以前は小さかったんだな。というか、内容が面白ければ見てもらえるだろうという慢心があったのがよくわかります、反省。

で、今の自分に戻るのですが、ここのところ、色の塗り忘れがけっこう目立ちます。シークバーの不調や、ルーミアの発生は仕方ないとしても、色の塗り忘れ、間違いはやっぱり、きちんとしたものを挙げようという心意気の不足です。

もっとも、多少雑でも毎週投稿しようと努力したのは、今の実力からすれば、ある程度の頻度で挙げないと、知名度というか、評価というのは受けにくいだろうなと思ったためでもあります。要は、多少のあらが残っても、頻繁に投稿することで気づいてもらう作戦をとったわけです。全身全霊を込めてよい作品を低頻度であげるというもの作戦ですが、今の技量とソフトではちょっと、無理かなと思ったのもあります。渾身の作品が空振りに終わった時には絶望しますから。ま、そうやって、逃げ道をつくって作品を作るのもどうかと思いますが。


後、見直してみて思ったことなんですが、けっこう各作品の展開がワンパターンですね。和歌に着想をえるとかは、多分、「ととも」が初めての発想なんでしょうけど、そこからの展開はあまりひねりがないなぁ。落ち着いた雰囲気を大切にしたいというか、そういう世界観が好きなので、それを表現しようとすると、どうしても同じような展開になるのかもしれません。


現在のところ、台本ができたところで、それを絵におこしている作業中です。思ったのですが、いわゆる幻想入りでなくて、東方の手書きの劇場で長編ってあんまりないですね。正確には、2010年12月段階で進行形の、という意味で、ですが。で、私は今のところ、通しの台本を作ってから、作業に入ろうとしているのですが、これからの作業量にけっこう萎えてしまっているのが正直な現状です。
・・・ここまで書いた反省とか無視して、自分の好み全開で偏見に満ちたことを言うなれば、「ととも」シリーズはもっと評価されてほしい。「もっと評価」のタグがついているのがせめてもの救いと言うか、モチベーションです。

2010/12/04

東方への入り口

東方の世界を知ったのは第3回かそれくらいのMMD杯だったとおもいます。MMDに東方のキャラクターが出てくるとコメント欄が若干荒れ気味になっていたのを覚えています。


どうでもいいことかもしれませんが、これまで、作品を見るだけの時のアカウントと、現在、okmとして東方二次作品を投稿しているアカウントは違います。ですので、okmのアカウントはものすごく新しいですが、ニコニコ歴とはイコールではありません。

で、東方とはどういうものですか?ときになって訪れたのが二次創作の方でした。もともとプレイ動画については興味が薄くて、ほとんど見ていません。で、興味を引いたのが、多様な二次創作でした。とりあえず、再生数ないしマイリスト数が多い順から世界を把握するために見ていって、いわゆる病人タグのつくようなモノから、2828やハートフルまで、いろんな作品があることを知って、いろんな解釈が許される東方二次の世界に引き込まれたのかもしれません。そういえば最近、幻想郷入りシリーズをチェックしてないなぁ。

で、現在に至ります。
前回、「咲夜のいれてくれた紅茶」の発想がいいなぁという話でしたが、現在に至るまでにこの発想はいいな、と思ったのは後、「冬のひまわり」があります。有名ですね、村上さん。こういう発想というか、妄想もありなのか、と思ったのを覚えています。

「ととも」シリーズでは、平凡だけどあまり切り取られなかった風景を納める場合(和歌、色の名前、思い、雛てゐ)と、これまであまり用いられなかった妄想を加える場合(ジキルとハイド)と、この2本柱で作っていこうと思ってます。今のところ、妄想を加えた作品を作成中ですというか、長編で平凡な風景はあんまり扱えないので。

2010/12/01

若干気になっていること

 私がニコニコに投稿している動画は「ととも」というタイトルですけど、「ととも」という人がいるようですね。最近「ととも」というタグがついて、ちょっとうれしくて押してみたんですが、なにやら違うタイプの動画もありました。踊ってみたの動画のようですね・・・。その動画の主さんの名前が「ととも」だそうです。一応、動画を投稿するタイミングは私の方が先なのですが、どうしましょうね。
 先日、性懲りもなく自分の動画のコメントをチェックしてたら、「ともも」と間違えている方がいました。それにつっこんでいるコメントも見ました。別に間違えてもいいですよ、気にしないでください。いっそのこと、とともさんに「ととも」という略称は譲って、「ともも」にでもしようかな・・・


最近、勉強もかねて東方手書き劇場を頻繁にチェックするのですが、
【東方墨絵】 咲夜のいれてくれた紅茶
という動画はものすごく素敵だと思いました。咲夜がいなくなってしまう話の中で一番好きかもしれません。ストレートな話もいいですが、こういう解釈もいいなぁというか、この発想には脱帽です。

こういう話が出来るといいですね。

2010/11/29

てゐと雛【後書き】

てゐと雛

 雛というキャラクターを考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが、「自分の厄」に関する話です。厄を集めることができるというのは、あくまでも「外の厄」であって、「内の厄」は違うんじゃなかろうかという妄想ができました。そうすれば、それを解決するためには、幸福のウサギにきてもらうしかないでしょう。そういう妄想から出来た物語です。
 今回は言葉遣いにかなり気を遣って作りました。雛の口調もそうですが、鈴仙の雛に対する認識とか(鈴仙は雛のことを厄払いの神様と思っているので、そのようにしゃべっています)、輝夜の説明とか。個人的なールですが、「少女説明中・・・」とか、ああいうテロップを入れて、説明を省略をしないと決めています。今回は輝夜の回想を挟みましたが、彼女がしゃべったのは、あくまでも回想が終わった後のあの一言だけです。もう少し説明させてもよかったのですが、あまり説明くさいのも輝夜らしくないな、と思いました。もちろん、間延びを防ぐためでもありますが、伝言ゲームのおもしろさが説明するときにはあると思うのです。「説明中・・・」のテロップを入れた場合、どの情報が欠けたり、変質したりしたかが伝わりませんよね?間延びを防ぎながら、説明するシーンをいかにおもしろく見せるかが、結構作り手としておもしろいんじゃないかと思っています。


 ちょっとした用事で土日は動けなかったので、金曜の夜に仕上げて、日をまたいでから投稿したのですが、急ぐといけないですね、色の塗り忘れのチェックがかなり甘くなっています。にんじんのネックレスがなくなってたり、色が抜けてたり。コメントに救われました。気をつけます、というか、無理しないことにします。別に土日の内に投稿しなければならない縛りはありませんからね。



暖かいコメントと、この「ととも」シリーズを待っていてくれる人のおかげで10作品を投稿することが出来ました。次は本格ミステリーもどきというか、長編に挑戦したいと考えています。大枠と、それぞれのメインのシーンはイメージができあがっているのですが、それを作品としてどう分割して、どう見せていくかを今詰めているところです。ここまで、なんだかんだで、1週に1本のペースで投稿しましたが、次は間が開きます。


作品が出来るまで、少し、このブログの更新ペースをあげていく予定なので、よろしければちょくちょくのぞいてください。

2010/11/27

お知らせ

ごめんなさい、10作目、てゐと雛の後書きは来週まで待ってください。

2010/11/20

色の名前 続篇 「後書き」

色の名前続篇
 付け損ねたタイトル(夜雀の歌声)

今回はミスティアの目が色を識別できないという妄想を基本としております。設定としては、まったく色がわからないわけではなくて、濃淡はわかって、ぼんやりとながら違いがわかるという設定です。ですから、鬼束ちひろの歌声は曇り空の色だと発言していたりします。

音色、声色という「音」に対して、色という言葉がはいっていることに気づいたのは、確か、大学にはいってしばらくしてからの事だったような気がします。そのころから、音に色があるというセンスは素敵だなと思ってました。人にとって色という概念は傑作だったのかわかりませんが、量子力学の中でも色の概念を使ってますよね、詳しくは知りませんが。

ちなみに、ミスティアの歌声に対して、幽香&レティが違う色の名前を挙げてますが、そんなもんだと思います。私は朱、赤、青、緑の歌声としてmink, 林明日香、鬼束ちひろ、柴田淳をチョイスしましたが、当然、ほかの選択しもあるし、彼女らの歌声は違う色だろうと感じる人もいると思います。できれば、コメント欄はそういったことでにぎわってほしいなと、感じています(投稿直後なので、まだコメントは見てないし、ないでしょう)。ちなみに、黄色としては、SONOMIを、黒として椎名林檎を考えてました。


動画の技術的なことに関して・・・

シークバーの不調は、フレームレートを固定してエンコードすることで、どうやら回避できそうだな、ということがわかったのですが、今回、最後にルーミアもとい、なぞの黒い領域が出来ました。同じような症状で、ビットレート調節のため・・・とかかかれている動画を見かけますが、なぜ今回だけ、発生したのでしょう?何度かエンコードし直してみたりしたのですが、うまくいきませんでした。課題ですね。


次は、10作目です。どうしようとは思いますが、さりとてよきアイディアもないので、普通に通過するのが一番かと考えている今日この頃でした。

2010/11/17

コメント返信

〜思い〜で動画の最後に解説というか、解釈をたれました。

それについて、不必要ですよ、という指摘を頂きました。動画中にも述べましたが、これは、ちょっと、展開が急すぎるかなぁと思って、書き足したのですが、コメントを見る限り、別に唐突な表現でもなかったようです。一つの指針になります。ありがとうございました。あと、「ことり」って書いちゃってますね。申し訳ない。色の塗り忘れとか、間違いもありますが、名前を間違えてはいかんですね。反省しております。「さとり」、「こいし」でどうしても「ことり」となるんですよ、、、間違えておぼえて、なかなか直らない、パターンです。

解釈は人それぞれですから、泣き出した解釈も、私なりの解釈であって、ほかの解釈を否定するものではないことをご理解頂けたらと思います。確かに。行間をよむのって楽しいですからね。作り手として、行間についてのコメントを楽しませてもらうためにも、次から、動画終わりのコメントというか、通信欄には気をつけます。

追伸:コメント欄を解放しているつもりが、どうやら、設定が微妙だったので、改変しました。

2010/11/14

感想をば

ここですこしばかり、皆様のコメントやタグについて感想をば

なによりも、見てくださった方に感謝します。

コメントをしてくださった方、
マイリストに登録してくださった方、
宣伝してくださった方

本当にありがとうございます。GJコメントや、内容に対してコメントしてもらえると、やる気がでます。マイリストや宣伝してもらえると、あぁ、評価してもらえているな、と感じることが出来ますから、本当にモチベーションになります。これからも、コメントやマイリスト、あと贅沢も言うなら、宣伝して頂けるとうれしいです。

タグですが、個人的にはタグを編集したり、ロックしたりすることはないと思います。投稿者コメントタグは何となく、タグとしての機能(意味)がよくわからないので、消しますが。「もっと評価」のタグをつけてくださる方がいて、また、それが消されないので、うれしい限りです。評価してもらえているんだな、と思えるのと、そうではないのでは、違いますから。で、最近、一部動画に「浄級者リンク」のタグがついています。このタグがついているのは今のところ(2010年11月の時点)あまりなくて、そのほとんどが有名な動画で、こちらとしては、こそばゆい感じがします。でも、こういうタグをつけてもらえるのは、うれしいですね。よけいなことを言うならば、大百科の定義をみるかぎり、「ままんげ」シリーズはこのタグ関係ないんじゃない?うわ、失言ですねこれ。「ままんげ」シリーズそのものは、楽しく拝見させてもらってます。だけど、これで浄化されるってことはないんではなかろうか。。。いや、人の感性ってわからないものです。浄化される人もいるんだろうなぁ。


動画の中で、いろいろ感謝の言葉とかを述べるのがすこし恥ずかしい面がまだあるので、この場をかりて、感謝の意を表しました。

ありがとうございます。そして、これからもどうぞ、おつきあいください。

思い【後書き】

思い

今回の動画は特に明瞭なコンセプトがあったわけではありません。さとり、こいしのペアにパルスィを混ぜたらおもしろいだろうな、と思ったのがきっかけです。

さとりはこいしがわからない、こいしはさとりがわからない、というごく当たり前のすれ違いが存在するというのは、二人にとってあまり触れたくない事柄の様な気がします。さとりは相手を読むことが能力だから、それを否定されるわけですから。こいしのほうは、さとりが自分をどう思っているかしりたいが、それを読むことは出来ない。また、姉と同じ能力を封印し、無意識を操る能力を獲得したことで、人の気持ちを推し量るふつうの力も衰えていると妄想するわけです。

今回は、こいしは姉のことを純粋に思っていることを仮定しました。でも、結構、これって重要だと思うんですよね。妖怪や妖精というのは基本的に発生する物であって、それぞれは独立していると考えます。だから、「姉妹」という「他の妖怪」との関係性は非常に珍しく、価値のあることだと思うのです、彼女らにとって。だから、大切にしたいという感情は強くあるのではないでしょうか。もちろん、幻想郷には、ほかの姉妹も出てきますが、どちらにせよ、個人的にはそういった関係性のある妖怪や神様はお互いを大切にしていると考えています。特に、さとり、こいしは元はほぼ同じ能力を有していたと考えれば、非常に珍しい妖怪だし、なおのこと、姉妹であることは重要な要素だと思うのです。ですから、基本的に作中では、すれ違いや、複雑な心境もありながらも、お互いは大事に思っています。

「妹ですもの」

さとりのこの発言は、けっして妹であるという事実だから、ではなくて、こういった妄想が背景にあったりしました。


パルスィですが、パルスィを中心にして物語をくむのもおもしろそうだなと思っています。ただ、一話完結の短い話では、彼女(?)のおもしろさは十分には表現できなさそうです。彼女は相手の優れた点に対して妬むことはあっても、そのすべてをねたむことはないだろうな、というのが、現在の彼女に対する考えです。もちろん、最初はこの世すべてが妬ましい状態だったかもしれませんが、それはどうやらちがうだろうと気づいていくはずです。今回はその一端を描いたわけですので、実は、今回の動画はさとり、こいしのすれ違いのはなしと、パルスィの成長(?)のはなしと二兎を追っかけようとした、強引な作品であったりもします。


次回は、前回の色の話の続きを少ししようかな、と考えています。では。

2010/11/07

色の名前 【後書き】

色の名前

結局、最後の一言、「チルノ色」が言いたかった動画です。

便利な世の中で、色を調べれば、○○色はRGBでxxx, xxx, xxxと表すことが出来る、とわかります。したがって、色には明確な定義があるわけで、曖昧さというのは実は存在しないのかもしれません。が、そんなことはないだろうと個人的には思います。だって、そんなのつまらないじゃないですか。深い峡谷の底を流れる清流の淵の「あお」は碧いと思うし、冬の月の光や、冷たく光る情熱は蒼色と思うわけです。と、共感される/されないはおいておき、そういう風に、個人的な色の感覚があって、それは定義付けされているけれども、客観的な物ではないと思います。そういったなかで、どうしても既知の色では表現できないとき、色に名前を付けるというのは素敵な事だと思うのです。もちろん、いろんな色の名前を知っている方がよいでしょう。車輪の再発見という言葉があるそうですが、そういった事態は避ける方がよいのは妥当だとは思いますが、既存の色を意地になって探すことや固執することは無粋な感じがします。レティと幽香は、チルノの髪の色を単なる水色(使った色はライトシアンかな?)とせずに、チルノのうちからでる雰囲気を含めて、チルノ色とした。それはそうするほか、良い表現がなかったのだと思います。

何事も言葉でうまく説明できないことがあると言います。が、それは違うと最近は思っていて、それが今回の話の底辺を流れています。つまり、言葉でうまく表現できないのではなくて、その状態を説明する言葉が今、ないだけ。だから作ればいい。そして、それを共有すれば、立派な言葉じゃないでしょうか。

チルノ色、これはレティと幽香の間の言葉


実は、この色の話はもうすこしバリエーションがあって、刻々と変わりゆく夕日は何色なのか、という疑問をもつというパターンと、色がわからない動物がモチーフとなっている妖怪に、色を説明する妖精のパターンとか、、、あるいは、やたら色に詳しい妖怪がいて、それに感心するも、微妙な色や、刻々と変化する色が説明できなくて困ってしまうパターンとか、、、などなど。根底に流れるテーマは一緒なのですが。機会があれば、作ろうと思います。


今回の動画を作る前に作りかけた作品があります。今のところ、いまいちなのですが、よければ投稿しようと思います。


追記:どうやら、今回の動画はキーフレームの設定がまずかったらしく、シークバーをいじると動画がうまく再生されません。前回と同じ設定でエンコードしたのですが。自動ではなくて、こちらでキーフレームのレートを設定してあげた方がよいのかもしれません。反省。

2010/10/28

朱と蒼 【後書き】

完結しました。

下敷きとしてジーキル博士とハイド氏がありますが、その結末は大きく違いました。ジーキル博士とハイド氏をご存知の方は、これが下敷きになっていることから、行く末を考えてくれたかもしれませんし、そうでないかもしれません。個人的に、これまでもこれからも下敷きにしたものや、元ネタというものを積極的に公開していこうと思っています。そうすれば、次の展開が読めそうで面白いじゃないですか。作り手としては、元ネタと流れから今後の展開を予想してもらって、それが外れたり、あたったりしたりすることを楽しんでもらえたらなぁと考えています。どのような作品でも、展開があって、それを予想することになると思うのですが、直前の流れだけではなくて、もっと全体の流れを考える上で、元ネタを利用してくれたら、作り手としてはありがたいと思っています。あと、元ネタをぜひ、知ってもらいたいなぁというのもありますが、別に私はマニアックな嗜好をもっていない(つもり)なので、それほどマイナーな作品をもととすることはないと思います。これまでも非常にメジャーな小説と、和歌をもとにしていますし。ご存知の方も多いでしょう。ですから、知ってもらいたいというのは失礼かもしれません。ちなみに、今回、エイリンが薬を調合する際のシーンは、ジーキル博士とハイド氏が薬を調合するシーンをまねています(一部、違いますが)。

コメントは頻繁にチェックする様に心がけています。これまで、字おくりが早いという指摘があったので、ゆっくり目にはしているつもりですし、ぽつぽつと情報を集めて、解釈して質の部分も改善しているつもりです。朱と蒼3作目は多分、これまでよりも画質が改善されている、はずです。と、技術的な部分はこれからも精進するとして、内容に関するコメントに対するコメントをば。

二重人格というコメントがちらほらありましたが、個人的には、個の中に内在する葛藤や矛盾を表現にするために、目の色の違うエイリンを登場させました。目の色が朱いエイリンが全体的に薄かったり、濃かったりするのは、その意志の強さを表している、、、つもりです。二重人格と言われると、確かにそうとも解釈することができるので、そういうのもありだなぁと思いました。後、「できてしまった」を子供ととらえているコメントは面白い、それは考えてなかった。確かに、あのシーンだけとりだしたら、それもありですね。

以下、駄文

私は別に教養がある訳ではありません、欲しいですが。和歌も教科書に載っていたから知っているのであって、他に知っている和歌を挙げろと言われても、あとは片手で数えるぐらいしか知らないし、記憶が怪しいので(前にも書きましたが)、教科書やらを引っ張りだしてきて、確認をとっている情けなさです。別にお固い人間ではない(文章はどうしても固くなりがちなのです。。。)。カリスマブレイクとか、そういったことはこれからも多分、それほど作中で扱うことはないと思いますが、そういった作品を見るのは好きです。超級者向けとかの動画も見ますよ。人類には早すぎた動画とか。けっして嫌いな訳ではないです。ただ、そういった作品が多いから、なにか、ちがうニッチを追求しようかな、と思っているだけです。

最後、あとがきとは関係ないことを書いて、長くなりましたが、これで終わりにします。期待してくれる方のおかげで、ずいぶんと早いペースで投稿しましたが、次の話まではさすがに開くと思います。話が練れてないので。。。では、また。

2010/10/24

朱と蒼 1+2 【後書き】

個人的に、何かを考えないでいることのできる時間というのは、寝ているときか、思いっきり運動しているときぐらいで、そのほかの時は何かしら考え事をしており、それは支離滅裂であったり、その時、考えなくてもよいことであったりします。そういったことがある反面、周りの人間を眺めていると、ものすごく幸せそうに、暇を暇として謳歌している人間もいるわけです、あんまりいないですが。ともかくも、ぼんやりしているときに何を考えているかを聞くと、「何も考えてなかった」と答える(もっとも、みんな考えていることをすぐに、うまく、人に伝えることは難しいですし、恥ずかしくもありますが)。

ということで、常に何かを考え続けることを宿命づけられた人と、そうではない人がいて、本作では、前者を永琳に、後者を輝夜にやってもらいました。永琳は月の頭脳と言うことで、常に何かを考えていた、少なくとも、月から逃げているときは、それについて、対応や、作戦などを考えることは、必要であり、そしてやりがいのあることだったでしょう。その必要が一応、なくなった後(永夜抄の後)という設定です。永遠亭が診療所を開いているのは、永遠亭が便利で、誰にとっても有益な存在となることで、敵視されないため、ひいては輝夜を敵視するものを作らない、あるいは、敵が永遠亭を攻撃することを躊躇わせるためだと思います。これは妄想ですが。

で、今回、まだ輝夜の登場が少ないですが、最終回では大事な役割を担って貰うつもりです。彼女は、自然と同化した人間(?)で、世界を愛すること(永琳は世界を理解すること)を生き甲斐としているという妄想に基づいています。だって、そうでないと、頭のさえている永琳が、輝夜を守りたいと思う要素がないでしょう?まったく違うタイプだからこそ、尊敬し、そしてあこがれるのだと思います。だから、輝夜は必ずしも永琳と同じように賢くはない。と、妄想します。


土曜、日曜と連続で投稿しましたが、次はしばらく間があきます。

2010/10/16

月が美しい夜に【後書き】

奈良時代の政治家、阿倍仲麻呂作、

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも

阿倍仲麻呂は唐へと渡り、政治を学んだ後、日本に帰ろうとするも、たどり着けず、大陸で一生を過ごした人です。今でこそ、中国に限らず、世界中どこへ行くにも難破や遭難はめったにないでしょうが、昔は命がけだったんですね。だから、この歌を詠んだときの阿倍仲麻呂の思いというのは、今の感覚では理解できないのかもしれません。

歌の意味としては、「今、眺めている月は日本に出ている月と同じだ」ということなのでしょう。が、個人的な妄想として、同じではないと思うわけです。月を見て複雑な感情がわき上がってくるのか、美しいと感じるのか、はたまた、たこ焼きに見えるのか、それはわかりません、が、今眺めている月は人によって違う風に見えていることは間違いないと思いませんか?

今回は、ある夜、美しい月に対する妖怪達の反応の違いを描くことで、そういった月に対する複雑な思いを託してみました。

2010/10/13

白菊の花【後書き】

幻想的な雰囲気を醸し出している凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)作:

心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

実は、この歌は以前から知っていたのですが、作者は知りませんでした。なんだか、小野小町のような印象があったのですが、気のせいですね。たしか、古典の辞典に子規によって批判的に評価されていた記憶もあるのですが、これは間違いではなかったようです。と、いろいろ間違いを含むにせよ、印象深い歌であったので、記憶には残っています。そして、これを下敷きに話を作ってみました、と、いうか話はなんのひねりもないわけですが。子規が指摘しているように、非常に幻想的な雰囲気を持つ歌であり、写実性に欠けますが、そういったことを想像できる作者に脱帽です。後は、初霜はさすがに日が上れば消えてしまうだろうなとか、小さな想像力をつかって、話を作りました。

さすがに画力がない以前の問題で想像力が欠けるために、白菊に初霜が降りて、白い世界が広がる様子をうまく描写できませんでした。うーん、白菊に初霜がおりているシーンだけ白黒にするというアイディアはあったのですが、うまくかけずに挫折しています。イメージとしては水墨画の幽玄の世界(長谷川等伯の松林屏風図とか)、ぼんやりと浮かび上がる世界かな。


前作とほぼ同時進行で作っていたために、連続投稿のような形をとりました。次からは一から起こしていく予定ですので、すこし間が開きます。

2010/10/10

秋の訪れ【後書き】

あとがき

秋に限らず、季節の変わり目をどういう風にとらえるかについて、一番好きなのが藤原敏行の

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

という歌です、個人的に。さらに個人的なことを言えば、季節の移り変わりにあわせて、私の鼻は過敏に反応して鼻水を放出してくれます、いらないですが。2010年は彼岸の季節に寒冷前線が南下して、日本各地で急激に気温が下がりました。それまでは連日30℃をこえる夏日が続いていましたが、急に10℃近く気温が下がり、体調を崩された方も多いと思います。

藤原敏行のこの歌は高校のときに習われた方も多いと思います。「来ぬ」をどう発音するかで意味が異なりますので、「こ」と読むと「まだ」の意味になります、なつかしい。カ行変格活用だったっけ、そんなのはどうでもいいのですが、要は敏行は秋がきたことを改めて、感じている訳でしょう、きっと。今回の作品では、カナコ様が秋を伝えようと秋風を起こす訳ですが、彼女自身にも、日差しの弱さに気づいてもらいました。画力の決定的な不足により、夏の日差しと、秋の日差しをかき分けることはできませんが、本当はそれが描きたかった。夏の日差しによってできる木陰の陰影の輪郭の鋭さは秋になると失われて、優しい、濃淡の曖昧な線になりますよね。あれです。


残念なことに藤原敏行の様に風の音で秋を感じるほど文化人ではないですが、そんな風流な人がいたこと、その感覚を養いたいし、そういった風情があることを知っていただけたらと思い、初投稿のあとがきとします。

きっと後(一年後とか)で見直したら赤面するんだろうなぁ。